宮内地区下明石にある宮川甲斐守切腹址碑で、昭和14年(1939)紀元2600年記念として地元の人達によって建立された。
昨日ふれた明石口合戦(折敷畑山合戦)で陶方の武将宮川甲斐守が討死し、この付近に後世里人によって甲斐社が祀られていたが明治期に八坂神社へ合祀されたようである。
宮内地区下明石にある宮川甲斐守切腹址碑で、昭和14年(1939)紀元2600年記念として地元の人達によって建立された。
昨日ふれた明石口合戦(折敷畑山合戦)で陶方の武将宮川甲斐守が討死し、この付近に後世里人によって甲斐社が祀られていたが明治期に八坂神社へ合祀されたようである。