宮内地区下明石の畑の片隅に「明石口古戦場跡」の標木が建立されていた。弘治元年(1555)の厳島合戦の前哨戦として明石口合戦(折敷畑山合戦)が行なわれており、ここ明石口から折敷畑山と折敷畑山に連なる上平良地区の山などで合戦が行なわれたようである。
上平良地区の山にはかつて戦いが行われたと思われる城趾ケ谷や死人ケ原などの地名が残されている。
宮内地区下明石の畑の片隅に「明石口古戦場跡」の標木が建立されていた。弘治元年(1555)の厳島合戦の前哨戦として明石口合戦(折敷畑山合戦)が行なわれており、ここ明石口から折敷畑山と折敷畑山に連なる上平良地区の山などで合戦が行なわれたようである。
上平良地区の山にはかつて戦いが行われたと思われる城趾ケ谷や死人ケ原などの地名が残されている。