大野地区宮島口(旧赤崎)更地別れの踏み切り脇にある任助法親王の墓で宮内庁管理の陵墓とされている。
この任助法親王墓の初見は元禄15年(1702)の厳島道芝記に大野村の御室山に任助法親王を葬ったと記されている。宮内省は昭和10年(1935)に臨時御陵調査会を設けており昭和16年(1941)に任助法親王の陵墓と治定されたようである。
大野地区宮島口(旧赤崎)更地別れの踏み切り脇にある任助法親王の墓で宮内庁管理の陵墓とされている。
この任助法親王墓の初見は元禄15年(1702)の厳島道芝記に大野村の御室山に任助法親王を葬ったと記されている。宮内省は昭和10年(1935)に臨時御陵調査会を設けており昭和16年(1941)に任助法親王の陵墓と治定されたようである。