平良と宮内の境である長尾の尾根道は折敷畑山の南側の横道を経てかつて黒折に至っていた山道で、津和野街道が整備される以前の石州往還道とみられている。
折敷畑合戦の際には毛利元就軍勢が長尾の尾根道から攻め上がったと軍記物にみられるのである。交通機関が発達していないころ当ブログ主の親戚のものが明石から上平良に来る際にこの横道を通って来ていたと聞いたことがあるので昭和前半頃まで利用されていたのではなかろうか。
平良と宮内の境である長尾の尾根道は折敷畑山の南側の横道を経てかつて黒折に至っていた山道で、津和野街道が整備される以前の石州往還道とみられている。
折敷畑合戦の際には毛利元就軍勢が長尾の尾根道から攻め上がったと軍記物にみられるのである。交通機関が発達していないころ当ブログ主の親戚のものが明石から上平良に来る際にこの横道を通って来ていたと聞いたことがあるので昭和前半頃まで利用されていたのではなかろうか。