針山地区の最奥部にあった民家は平成19年(2007)に訪れた時にすでに廃屋となっていたが、母屋、納屋と2棟の蔵が残されて蔵飾りがみられた。現在母屋は残っているようであるが1棟の蔵は崩壊し、もう1棟の蔵と納屋は崩れがかって不明字の蔵飾りと家紋とみられる蔵飾りはすでに消滅していた。
針山地区の最奥部にあった民家は平成19年(2007)に訪れた時にすでに廃屋となっていたが、母屋、納屋と2棟の蔵が残されて蔵飾りがみられた。現在母屋は残っているようであるが1棟の蔵は崩壊し、もう1棟の蔵と納屋は崩れがかって不明字の蔵飾りと家紋とみられる蔵飾りはすでに消滅していた。