宮内砂原地区にある宮内天王社を参詣すると拝殿に八阪神社とある神額が掲げられていた。江戸期の地誌、厳嶋道芝記にはこの地に天王社がみられ厳島社との関りがあったよう記されている。境内にはこれを裏付ける厳島棚守が寄進した石燈籠があり、八阪神社神額の揮毫は厳島神社宮司浅野忠純である。明治期になぜか八阪神社と称していたが昭和44年(1969)に宮内天王社と改称したようである。
宮内砂原地区にある宮内天王社を参詣すると拝殿に八阪神社とある神額が掲げられていた。江戸期の地誌、厳嶋道芝記にはこの地に天王社がみられ厳島社との関りがあったよう記されている。境内にはこれを裏付ける厳島棚守が寄進した石燈籠があり、八阪神社神額の揮毫は厳島神社宮司浅野忠純である。明治期になぜか八阪神社と称していたが昭和44年(1969)に宮内天王社と改称したようである。