宮内地区辻堂原にある宮川甲斐守の腹切り岩で、厳島合戦の前哨戦である天文23年(1554)9月の折敷畑の合戦で陶方の大将宮川甲斐守が切腹敗死した場所とされている。江戸期の地誌によると切腹岩と甲斐守を祀った甲斐守社があったよう記されており、甲斐守社は明治期に先日記した明石大歳神社に合祀されたようである。
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