地御前神社から西寄りの広電宮島線脇に瓦が山積みにされているのがみられる。この付近では昭和後期まで瓦製造が行われていた所である。江戸期の享保11年(1726)に伊予川野江村の瓦師が地御前村に寄留して瓦焼きを始めている。これが連綿と継続されていたのかは不明であるが、大正期の地誌に工業方面では瓦製造、煉瓦製造が主なるものとある。昭和49年(1974)7月の住宅地図には井上日本瓦製作所がみられるので昭和の後期ごろまで製造されていたのであろうか。
地御前神社から西寄りの広電宮島線脇に瓦が山積みにされているのがみられる。この付近では昭和後期まで瓦製造が行われていた所である。江戸期の享保11年(1726)に伊予川野江村の瓦師が地御前村に寄留して瓦焼きを始めている。これが連綿と継続されていたのかは不明であるが、大正期の地誌に工業方面では瓦製造、煉瓦製造が主なるものとある。昭和49年(1974)7月の住宅地図には井上日本瓦製作所がみられるので昭和の後期ごろまで製造されていたのであろうか。