中道地区手前にある針山地区の尾根越えに建立されているこしき峠碑で江戸期の地誌に井手として「下こしき」と絵図に「コシキ」地名がみられる。
佐伯町誌などではこのこしき峠に向かう「こしき坂」で、頼山陽が若き日津和野を経て有馬温泉に行くときに『甑坂』「行覚渓雲脚下生 危巌夾水一橋横 登登峡路天将黒 聞断渓童搗紙声」と詠ったとされている。はたして津和野街道からはずれたこのような脇道を通ったのであろうか・・・ また、浜田往還の浜田市旭町の越木坂で詠ったとの説もある。
中道地区手前にある針山地区の尾根越えに建立されているこしき峠碑で江戸期の地誌に井手として「下こしき」と絵図に「コシキ」地名がみられる。
佐伯町誌などではこのこしき峠に向かう「こしき坂」で、頼山陽が若き日津和野を経て有馬温泉に行くときに『甑坂』「行覚渓雲脚下生 危巌夾水一橋横 登登峡路天将黒 聞断渓童搗紙声」と詠ったとされている。はたして津和野街道からはずれたこのような脇道を通ったのであろうか・・・ また、浜田往還の浜田市旭町の越木坂で詠ったとの説もある。
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