20日の昨日、市役所前の市民プラザで本市の地名にちなみ恒例の「はつかの市」が開催されていた。中世の廿日市は厳島神主家の本拠地であり、佐西の中心地で近郊近在の人達が集まり市は度々開催されていた。集落中心の四辻に祀られていた胡堂(絵図赤丸ケ所)の御開帳の日である20日の市は、信仰心の深かった当時「廿日戎・廿日の市」と特に賑わって次第に廿日市地名が成立したものと思われるのである。下画像は天満神社境内に移祀された現在の胡子神社である。
20日の昨日、市役所前の市民プラザで本市の地名にちなみ恒例の「はつかの市」が開催されていた。中世の廿日市は厳島神主家の本拠地であり、佐西の中心地で近郊近在の人達が集まり市は度々開催されていた。集落中心の四辻に祀られていた胡堂(絵図赤丸ケ所)の御開帳の日である20日の市は、信仰心の深かった当時「廿日戎・廿日の市」と特に賑わって次第に廿日市地名が成立したものと思われるのである。下画像は天満神社境内に移祀された現在の胡子神社である。
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