一昨日、高地性集落遺跡に興味を持った人達6名を何度か紹介している高尾山遺跡に案内した。遺跡と言っても現在は普通の山であるが、立地は中世の山城のような所である。かつて数度の山崩れで標高267mの最高所から丘陵尾根筋約200mの範囲の斜面から弥生土器を採集しており、分布試掘調査も行われて、弥生中期末頃から形成され後期終末まで存続した中心的な高地性集落遺跡とみられている。(廿日市町史通史編(上)参照)
一昨日、高地性集落遺跡に興味を持った人達6名を何度か紹介している高尾山遺跡に案内した。遺跡と言っても現在は普通の山であるが、立地は中世の山城のような所である。かつて数度の山崩れで標高267mの最高所から丘陵尾根筋約200mの範囲の斜面から弥生土器を採集しており、分布試掘調査も行われて、弥生中期末頃から形成され後期終末まで存続した中心的な高地性集落遺跡とみられている。(廿日市町史通史編(上)参照)
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