厳島神社の平舞台から沖に伸び出した部分を火焼前(ひたさき)と呼ばれている。元禄15年(1702)の厳島道芝記には「沖の方に造り出し名付けて舌先といふなり」とあり、天保13年(1842)の厳島図会には「廊嘴(したさき)、・・・俗に是を舌先とよぶ」とある。明治期になってから絵図などに火焼前と記されており、どのような経緯で舌先が火焼前表記となったのであろうか。
厳島神社の平舞台から沖に伸び出した部分を火焼前(ひたさき)と呼ばれている。元禄15年(1702)の厳島道芝記には「沖の方に造り出し名付けて舌先といふなり」とあり、天保13年(1842)の厳島図会には「廊嘴(したさき)、・・・俗に是を舌先とよぶ」とある。明治期になってから絵図などに火焼前と記されており、どのような経緯で舌先が火焼前表記となったのであろうか。
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