羅漢渓谷の小瀬川沿いにある雪が所々残る旧国道を歩いていると道脇に石仏が祀られたお堂がみられ、石仏には天明八年(1788)申九月と刻されていた。人里から離れた山中であり江戸期の地誌によると栗栖村の山中で木地屋が稼業していたことが記されているので、天明の飢饉の際資力のあった木地屋によって建立されたのではなかろうか。
羅漢渓谷の小瀬川沿いにある雪が所々残る旧国道を歩いていると道脇に石仏が祀られたお堂がみられ、石仏には天明八年(1788)申九月と刻されていた。人里から離れた山中であり江戸期の地誌によると栗栖村の山中で木地屋が稼業していたことが記されているので、天明の飢饉の際資力のあった木地屋によって建立されたのではなかろうか。
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