『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

広池川上流で赤水が!

2009年01月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


上平良地区から極楽寺に参詣する上平良参道を登って行くと、広池川の上流である谷川には水は流れておらず赤い水が染み出していた。
この付近の山は鉄などの金属を含んでいる地層とみられ、砂鉄など採集できるかも知れない。

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立善寺に白象が!

2009年01月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区にある立善寺本堂の廊下上に白象の張子が吊り下げられていた。
かつて4月8日の釈迦誕生会である花祭りに、釈迦誕生にまつわる聖なる動物としてあがめられている白象を引いて行進をしていたようであるが、近年は行われていないようである。

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円鍔勝三レリーフ彫刻作品-『豊穣』

2009年01月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


はつかいち文化ホール(さくらぴあ)の壁面に落成記念で設置されている彫刻家円鍔勝三の作品で題名は『豊穣』である。
主題は「はつかいち今昔-21」とあるが芸術心がない当ブログ主は何が表されているのかよくわからない。

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平成元号も成人式

2009年01月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は成人の日であったが当ブログ主の成人は遥か昔のことであった。平成の元号も8日で20周年であった。
地御前神社境内に建立されている国道開鑿碑の上部に刻されている『書経』大禹謨の「地平天成」は元号の「平成」出典の一部ということで、改元当時はマスコミで多く取上げられたものである。

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蔵飾り-花葉文

2009年01月12日 | 「大野地区」ぶらり


廿日市市域内にある大竹市飛地の奥谷尻にある民家土蔵の蔵飾りで窓と窓の間に設けられたものである。
竪長で凹雲形の中央に花文と上下に葉を表したものが漆喰細工で施されている。

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旧平良村戦役紀念碑

2009年01月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


下平良地区の新宮神社境内にある戦役紀念碑で、以前は可愛橋の西側たもとにあったもので明治45年平良村にて建立している。
この紀念碑には明治33年の北清事変戦死者、従軍者、明治37・38年戦役戦死者、戦後病没者、従軍者、明治27・28年戦役‐同33年北清事変‐同37・38年戦役従軍者、明治33年北清事変‐同37・38年戦役従軍者の名前が刻されている。

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野壺が

2009年01月10日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良地区の東側にある里山はかつて段々畑であったが、現在では雑木や竹が茂って山となっており、段々畑の跡に野壺が2つ残っていた。
野壺は肥溜めで化学肥料がなかった時代は、人間や家畜の糞尿を野壺に溜めて腐敗させ、それを肥料にして農作物を育てていたのである。

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洒れた酒字看板

2009年01月09日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島の商店街から一筋裏通りで現在町屋通りと名付けて観光客を呼び込んでおり、酒と酒器を商っている店先に洒落た看板があった。
酒の字のサンズイを盃と高盃で表し、酉の字を徳利で表して焼き板を刳り貫いているユニークなものである。

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後原山中に廿日市への道しるべ碑が!

2009年01月08日 | 「大野地区」ぶらり


廿日市市域内の大竹市の飛地である後原集落から、広島西カントリー倶楽部方面に約2km北の道路脇山中に三王大権現碑があり、その前に道しるべ碑がある。
道しるべ碑には「右廿日市」「左巖国」とあり、現在は山の中であるが古い時代にはここから岩国方面、広原、友田を経て廿日市に通じていた交通路があったことがわかる。

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七尾陸橋の絵画焼付タイル

2009年01月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


七尾陸橋の両側手摺にはカラフルな絵の焼付けタイルがはめ込まれて道行く人を楽しませておりこれで全部紹介した。
この焼付けタイルの一枚には役者絵であろうか菱形に図案化しており、もう一枚には盆踊りだろうか踊っている人が描かれている。

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円鍔勝三レリーフ彫刻作品-『楽楽』

2009年01月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


はつかいち文化ホール(さくらぴあ)の壁面に設置されている彫刻家円鍔勝三の作品で題名『楽楽』、極楽寺山の山並みと極楽寺本堂がデザインされている。
平成9年(1997)廿日市市庁舎・はつかいち文化ホール(さくらぴあ)の落成記念で、廿日市ライオンズクラブと廿日市市管理職等親交会が寄贈されたもののようである。

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佐方八幡神社の曳き牛像

2009年01月05日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方八幡神社の石段を上がった左側に設置されている牛像で、平成11年(1999)11月裏参道の開通記念に奉納されたようである。
角が太く牡のシンボルがあるので、牡牛で力が強い曳き牛とみられ、重量級の力強さが表された牛像である。

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天満神社の臥牛像

2009年01月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


天満神社の入口付近に設置されている臥牛像で、菅原道真1075年祭の昭和52年(1977)4月に奉納されている。
菅原道真と牛との関係は深いようで天満宮においては神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が置かれているようである。

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丑年に因んだ蔵飾り

2009年01月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


丑年にちなんで過去に掲載した牛の蔵飾りを再度紹介いたします。
農家にとって牛は農耕用に必要なものであり大切な財産であった農耕牛の像、牛の背に人物を乗せその後ろに籠を背負わせ従者が籠を背負っている像、牛に籠か袋を背負わせて金太郎が籠を背負いあぐらを組んで乗っている像、牛の両側に籠を背負わせて金太郎があぐらを組んで乗っている像で、いずれも牛は農家で大切にされていたことが伺われる。

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速谷神社に初参り

2009年01月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


元日には近所の西蓮寺、速谷神社、八幡神社へ初参りをした。速谷神社では多くの参詣者で行列が一の鳥居付近まで延びており、寒い中順番を待って初参りを済ませた。
このブログが続けられますようにと・・・

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