『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

極楽寺山に架かる虹

2012年11月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は一日中時雨模様であり夕方ごろ極楽寺山に架かる大きな虹がみられた。
バックの雲は高い所にある雲であり虹が鮮明に現れなかったが、山の部分では幾分かは虹色がみられた。

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地御前牡蠣養殖業者の看板

2012年11月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


いよいよ牡蠣の季節となってきた、地御前はかき養殖の盛んなところで地御前漁協前倉庫に掲示してある看板には21養殖業者の名が記されている。
平成18年頃の看板には30養殖業者の名前がみられたが、この間に9養殖業者が廃業されたのだろうか。

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宮島SAスマートICアクセス道路の今

2012年11月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


時折宮島SAスマートICへのアクセス道路工事について紹介しているが、現在宮島SA手前で山陽自動車道下の大トンネル手前の工事が行なわれている。
この付近は画像左側に歩道が出来て上下一車線ずつの車道となるようである。現在アクセス道路の工事は唯一工事が行なわれている部分である。

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奈良町の町並み

2012年11月12日 | その他


奈良、宿泊ホテルの朝食前に近くの通称「奈良町」の歴史的町並みが残る地域を薄暗いうちから早朝散歩してみた。
元興寺の旧境内地に江戸時代以降の町屋が数多く建ち並んでおり、細かく入り組んだ路地を歩いてつかの間の歴史的風情を楽しんだ。ネットによるとこの地域は「奈良町都市景観形成地区」に指定されているようである。

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金剛峰寺屋根上の天水桶

2012年11月11日 | その他


高野山の大塔を見物中にサイレンが鳴って金剛峰寺の山門前に消防車が集結し、消防署員によって一斉放水の消防訓練が行なわれていた。
金剛峰寺の屋根は桧皮葺であり、火災発生の時に火の粉が飛んで来て屋根が燃え上がらないように、かつて屋根上の天水桶に雨水を溜め、いざという時に桶の水をまいて屋根を湿らして少しでも延焼を防ぐように備えていたようである。

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奈良・高野山の古鐘

2012年11月10日 | その他


当ブログ休止中に奈良の古寺と高野山へ参詣したので、種切れを補うために所々を紹介します。極楽寺の梵鐘を紹介した後なのであまり注目されない古鐘を紹介します。
1画像は東大寺の大鐘で奈良時代の鋳造で国宝のようである。2画像は唐招提寺の平安時代に鋳造された国重文の梵鐘である。3画像は薬師寺の奈良時代に鋳造された国重文の梵鐘である。4画像は金剛峰寺の大塔の鐘で天文16年(1547)に鋳造されたようである。

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極楽寺の梵鐘

2012年11月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺本堂東側のコンクリート覆屋の中にある梵鐘で、江戸期の延宝6年(1678)に廿日市の鋳物師山田貞栄が鋳造したものである。
当極楽寺には廿日市鋳物師の鋳造作品が多くみられる。鰐口(久信)、この梵鐘の前梵鐘(久信)、宝珠露盤(?)、宝珠(山田貞能)、叶茶釜(?)、茶釜(山田氏)などがみられる。久信は他史料から類推すると山田氏とみられ、?部分もおそらく山田氏の鋳造と思われるのである。

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極楽寺の力石

2012年11月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺本堂前に砲弾型の力石が置かれており、昭和18年(1943)3月1日の「かんのんさん」の日(極楽寺の縁日のこと)に広島蒟蒻分場 青果小売組合によって寄進されたものである。

かつて力自慢をするための鉄製打出の小槌型があったようであるが昭和18年に戦時供出させられたようである。

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極楽寺本堂の宝珠と露盤

2012年11月05日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺本堂の屋根頂にある宝珠と露盤で何れにも造立の銘文が鋳出されている。
露盤の銘文は望遠レンズで撮影すると判読でき慶長4年(1599)に宍戸備前守元次が露盤を寄進鋳造している。宝珠の銘文は貞能のみしか判読できないが史料によると宝永元年(1704)に山田貞能が鋳造しており、何れも廿日市の鋳物師が鋳造したもののようである。これらからこの年代には本堂の大きな改修工事が行なわれたものとみられる。

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牛池山尾根道の四本樫

2012年11月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


坪井溜池方面に向かう廿日市市・広島市境界の尾根道を歩いていると根元から4本に分かれた樫の木があり、登山者の山道案内表示で「四本樫」と表示されていた。
以前にも紹介したがこのような樹木は山境界の木であり、昔は境界木とするために芯を止めて幹を茂らせていたのである。手前には現在のコンクリート境界杭2本がみられる。

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極楽寺の紅葉

2012年11月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日、極楽寺山に登ったが天候のせいだろうか前回に比べて中高年登山者が意外と少なく20人位とすれ違っただろうか。

このところの寒さで本堂手前にある阿弥陀堂前のモミジと庫裡前庭のモミジがきれいに紅葉していた。本堂よりのモミジは種類が違うので紅葉は少し先のようである。

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極楽寺境内の宝篋印塔

2012年11月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺本堂西側にある宝篋印塔であるが先日紹介した昭和5年(1930)の画像では本堂右側にみられる。庫裡が現在のところに移転されてからこの宝篋印塔も移転されたものだろう。

この宝篋印塔は江戸期の文政3年(1820)に極楽寺の所在村である白砂村の村役の人々によって建立されたようである。

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牛池山の陸軍輸送港域標石

2012年11月01日 | 「廿日市地区」ぶらり


坪井溜池上池の東側、廿日市市・広島市界の尾根筋を歩いていると663峰北端に陸軍輸送港域第二区標石が残されている。このような標石は極楽寺山系から野貝原山系にかけて8基確認することが出来る。
陸軍輸送港域内は二区に分けられ一区は宇品港域と広島市南部の本川と天満川に挟まれた三菱重工業広島造船所の一帯及び旧廿日市町・五日市町周辺の陸地部とその海域が制定されておりその周辺地域が二区とされた。陸軍輸送港域内では色々な禁止事項や制限などが行なわれていた。

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