『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

遊びの菜園-陸稲畑植え

2020年06月15日 | 農業



先日紹介した陸稲の稚苗を雨が降って畑が湿ってきたので、一昨日田植えならぬ畑植えをした。連日雨が降っているので根付いてくれるだろう。全く陸稲栽培の知識、経験もなく適当に牛糞と化学肥料を使って畑作りをしており、まさに遊びの菜園である。

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宮川甲斐守腹切り岩

2020年06月14日 | 「廿日市地区」ぶらり



宮内地区辻堂原にある宮川甲斐守の腹切り岩で、厳島合戦の前哨戦である天文23年(1554)9月の折敷畑の合戦で陶方の大将宮川甲斐守が切腹敗死した場所とされている。江戸期の地誌によると切腹岩と甲斐守を祀った甲斐守社があったよう記されており、甲斐守社は明治期に先日記した明石大歳神社に合祀されたようである。

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田んぼにカモが

2020年06月13日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 


ウォーキング途中、カモのつがいであろうか田んぼにいた。田んぼの雑草や害虫などを食べてくれて、田んぼの土や水をかき回してくれる。おまけに糞をして稲の養分となるので、やりっぱなしの我が田んぼに飛んで来てくれれば良いのであるが・・・

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明石大歳神社の注連柱・塔岩碑

2020年06月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



先日紹介した旧県道沿いに明石分校跡がある反対側に明石大歳神社の注連柱が建立されているが、神社ははるか山手の直線距離で約600m先にあるのである。
隣接して大正5年(1916)11月昭和天皇の立太子礼紀念に野貝原山にある奇巌塔岩の案内碑が建立されている。塔岩は昭和59年(1984)6月の地震で頂上岩が崩落した。

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雉の抱卵

2020年06月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



近所の畑の隅に使用済みで置かれた黒ポリシート(マルチ)の中で雉が卵を抱卵していた。親鳥が出かけた時に中を見ると8個の卵があり、2個の卵の色が少し違っているように見えた。雨の中どのようにしているのであろうか。無事に雛が生まれれば良いのであるが・・・

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消防ホース乾燥塔・警鐘

2020年06月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



昨日紹介した明石分校跡の市消防団第3分団第1部3班の車庫脇には消防ホース乾燥塔が建てられており、中間付近に喚鐘を利用した警鐘が架けられている。かつてここには梯子型の火の見櫓があってこの警鐘が架けられていたものと思われる。

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宮内小学校明石分校跡

2020年06月09日 | 「廿日市地区」ぶらり



宮内小学校明石分校跡で現在は明石集会所と市消防団第3分団第1部3班の車庫があり、遊具も設けられている。明石分校は昭和31年(1956)9月に廃止となり宮内小学校に統合したようである。
場所は定かでないが明治期から開明舎→明石学校→明石小学校→宮内西簡易小学校→宮内尋常小学校明石分教場→宮内小学校明石分校と変遷しているようである。

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遊びの菜園-陸稲稚苗

2020年06月08日 | 農業



昨年、初めて陸稲栽培をして経過を紹介したが、今年も栽培をするべく5月2日に我流で種蒔きをして稚苗が育ってきた。
陸稲畑の準備は出来ているが畑土が乾燥気味なので、一雨降ってから稚苗を畑植えする予定である。

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玖波町並みの町屋

2020年06月07日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

 

 

 



宿場町である玖波の町並みは慶長2年(1866)の長州の役で焼失したようであり、玖波村では423戸が焼失したということで、町並みにみられる町屋は明治期に建てられたもののようである。

上画像は酒造場をされていた町屋であり酒造場部分はなく住居部分と土蔵が残されているようである。二棟の町屋で屋根の低い厨子二階の窓に漆喰戸が設けられているのが特徴的である。

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玖波街並み

2020年06月06日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

(恵比須神社)

(高札場跡・角谷釣井)



宿場町であった玖波の街並みの中央付近には恵比須神社が祀られており、辻には高札・制札などが掲げられていた高札場があったようである。芸州吉田行程記の赤丸部分で恵比須神社は向かい側の現在地に移転しており、隣接して宿場の飲料水を供したという角屋釣井が残されている。

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玖波本陣跡

2020年06月05日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

(芸州吉田行程記)

(玖波本陣間取図)

(玖波本陣復原図)

(玖波本陣の推定地)


玖波本陣は上画像の赤丸ケ所で西国街道沿いにあり、風光明媚の地で洪量館と称されて多くの文人墨客が訪れて詩文などが詠じられている。
玖波本陣は庄屋の新屋(平田)半左衛門が務めており、居宅の建続きに一の間、二の間、三の間、玄関、広間、御台所、御膳立場などがあった。

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称名寺の境内社

2020年06月04日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

 



称名寺の境内に小祠があり「住吉明神 縁日31日、淡島明神 縁日3日」と表示してある。住吉明神と后神の淡島明神が祀られているようであるが、どのようにして祀られているのか定かでない。神仏習合時代の名残りで寺院境内にあるのだろうか。

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称名寺の喚鐘

2020年06月03日 | 鋳物師

 

 

(称名寺の文様)

(蓮教寺の文様)

大竹市玖波町にある称名寺の喚鐘は刻銘によると天和元年(1681)に鋳造されたものであるが鋳工名はみられない。しかし中帯の文様をみると廿日市鋳物師の山田貞栄が鋳造した極楽寺・蓮教寺・光禅寺の梵鐘に見られる文様とよく似ているので、廿日市鋳物師が鋳造したものとみられるのである。現在はない元禄10年(1697)に鋳造された梵鐘も廿日市鋳物師の山田貞能が鋳造していたようである。

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ハギの花

2020年06月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 



ウォーキングをしていると山陽自動車道の側道脇法面にもうハギの花が咲いていた。ハギは秋の七草の一つであり、中秋の名月にハギの花とススキなどを供えていたような気がするが・・・

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ツバメのマンション

2020年06月01日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

国道433号線の神路橋橋梁下には数多くのツバメの巣が作られており多くのツバメが出入りしていた。橋梁下では数多くのツバメが行き交っているのであるがスピードが速いので画像に写っていない。ここでは巣の中の卵や雛などが蛇やカラスなど天敵に襲われることがない安全な高級マンションである。

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