山田風太郎著、日下三蔵編『人間万事嘘ばっかり 山田風太郎エッセイ集成』2010年7月筑摩書房発行、の感想は、その(1)に書いた。
今回はその(2)として、この本を読んで思ったことを書く。
山田風太郎はこう考えた。
これで無用のストレスからだいぶ逃れることができたと思うが、しかし横着は相当横着である。この横着を通させてくれた人生に私は感謝する。
しかしこの方針をつらぬいてゆくと、私など世にやることが何もなくなる、と七十歳を超えてはじめて私は気がついた。
これは、「したくないこと」をできるだけ、へらさなければならない。
かくて私は女房にくっついて、阿呆面をして花見や紅葉見物に歩くことになったのだ。
私めも、会社務めの間は、多少のことはあきらめて、やりたくないことは出来る限りしない生き方で通してきた。それでもお金をいただき、曲がりなりにもプロであれば、我慢できる限りのことはしてきた。退職すると、寸暇を惜しんでやっていた趣味も、まったく自由な時間だけの中では、熱中できないことが解った。そして、社会とつながりが希薄な日常生活の中では、女房に教えられ、身近な小さな世界の微妙な変化に興味が湧くようになっていった。
山田さんの計算だと、人生65年とすると、
22年間は寝ていて、3年間食い続け、218日トイレにいることになる。
私もまったく同じこと計算したことがある。山田さんに似ているとすると、嬉しくもあり、恐ろしくもある。
戦中派の考える「侵略発言」 山田風太郎の太平洋戦争評価
南京大虐殺
私も30万人という数字は根拠薄弱だと思うが、数字については日中の学者間の議論にまかせておけばよい。虐殺があったことは事実なのだろうから、日本の政治家は、数字が違うなどと細かいことを言わず、責務の外交努力をすべき。選挙めあてで日本の聴衆のウケを狙う言動はつつしむべきだ。政治家は結果責任を負う。国会議員は個人の意見よりも国益第一の行動をとるべき。
太平洋戦争
・・・
教科書問題を見ていると、やがて日本は自分たちの国は「恥ずべき」戦争をしたと子供たちに教えかねないと感じている。そんな国がどこにあろうか。繰り返すが戦争そのものは悪であることに異論はない。しかし「恥ずべき」ものであったかどうか、誰が判断できるというのか。
・・・
戦死者は死んでも死に切れないではないか。
私は、まったく無謀な戦争をしたと思う。ノモンハンでソ連の機械化部隊に一方的に負け、中国でも勝利への道が見いだせなかったのに、こともあろうに圧倒的な物量を誇る米国に戦争をしかけるとは、正気の沙汰でない。情報がなく、騙されていた国民は仕方なかっただろうが、恥ずべき国家指導者達であったことは間違いない。死ねば神だからといって、何百万もの人を死に追いやった指導者を祭る靖国神社にもうでる気にはならない。インパール作戦などの本を読んでも、当時の指導者の馬鹿さ加減には腹がたつ。
大東亜共栄圏の名のもとに、アジアを開放しようという考えはあったにしても、山田さんが言うように、日本にその実力はなかったし、それ以上に石油などを手に入れる侵略が目的であったと思える。
ここで、最近の人(?)には誤解があるといけないので説明すると、「戦中派」というのは、太平洋戦争中に10代から20代だった人のことだ。山田さんは終戦の昭和20年に23歳だったから戦中派なのだ。ちなみに、私は終戦時2歳であるから、立派に戦後派なのだ。戦後の自虐的国家観教育を受けた世代なのだ。