伊与原新著『8月の銀の雪』(2020年10月15日新潮社発行)を読んだ。
新潮社特設サイトの紹介
不愛想で手際が悪い――。コンビニのベトナム人店員グエンが、就活連敗中の理系大学生、堀川に見せた真の姿とは(「八月の銀の雪」)。会社を辞め、一人旅をしていた辰朗は、凧を揚げる初老の男に出会う。その父親が太平洋戦争に従軍した気象技術者だったことを知り……(「十万年の西風」)。科学の揺るぎない真実が、傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇。
なお、この新潮社特設サイトでは表題作「8月の銀の雪」の全文が読める。
偶然の出会いから語られる地球や自然に関する科学の5つのテーマ。地下2900キロメートル世界や、ハトの帰巣本能、ガラスの殻をもつ生物、太平洋を渡るジェット気流など夢想本能をくすぐる話が、爽やかな人との出会いの中で語られる。
第164回直木賞候補作。
「八月の銀の雪」
新潟から出てきて東京の大学へ通う堀川は、ダンボールロボット作りの趣味に入れ込んでいる。人前では声が出なくなってしまうことから、就活で40社以上エントリーしたが内定はおろか二次面接も突破できない。イートインコーナーで同じ大学の、仮想通貨のアフィリエイターをやっているという一見勝ち組の清田と出会い、怪しげなバイト話に誘われる。
また、コンビニで出会った要領を得ないバイト店員グエンは、ヴェトナム人だった。彼女は、地球の内部、地殻、マントル、外核、内核と説明し、液体の外核に囲まれて浮かぶ内核には、樹脂状に伸びた鉄の結晶があり、鉄の結晶のかけらの銀色の雪が降っているかもしれないと熱く語る。彼女は地球物理学の博士課程で学ぶ学者の卵だった。
「海へ還る日」
シングルマザーの野村がベビーカーに果穂を乗せて満員電車に乗っていて、周囲から非難され、母くらいの年齢の宮下和恵に席を譲ってもらった。果穂がクジラ好きと聞き、宮下に勤務先の博物館での<海の哺乳類展>を勧められる。博物館を訪ね、彼女が描いた研究用のクジラの絵の見事さに驚く。野村は、「クジラの祖先も、私と同じで明るい太陽が苦手で、もっと暗い静かな暮らしがしたくて、海へ還っていったのかな」と思う。
「アルノーと檸檬(レモン)」
築36年の老朽アパートを取り壊し10階建てのマンションにしたいとのアパートのオーナーの意向を受けて、不動産会社が年内に全戸立ち退きを目指す。契約社員で担当の正樹は、斜陽のレモン農家を嫌って東京に出てきたが、芝居では芽が出なかった。正樹は移転絶対反対の老婆・加藤須美江を訪ね、ハトが臭いとの苦情がでていることを告げる。住み着いたハトの足には「アルノー19」との字が読み取れた。正樹はこの伝統のある伝書バトの持主を探すことになる。
「玻璃(はり)を拾う」
吉見瞳子(とうこ)は、写真投稿のSNSに抗議のコメントが繰り返し来ていて、覚えがないと親友の奈津に相談する。「休眠胞子」と名乗る男性が、瞳子が1年前に投稿した、記憶にない画像が著作権侵害していると主張しているのだ。いろいろ探ると、この画像は奈津が瞳子に間違えて送ったものだと判明する。奈津のハトコの「休眠胞子」を名のった野中充と京都の<喫茶 玻璃>に出掛けて3人で会った。玻璃とはガラスのことで、あの画像は珪藻を並べて作ったもので、珪藻はガラスの殻をまとっているのだという。
「十万年の西風」
原発の下請け会社を辞めて旅に出た辰朗が、茨城の海岸で六角凧をあげる70代の滝口と出会う。凧は形が和風だが、生地はリップストップナイロンをシリコーンでコーティングしていて、骨はカーボンロッド、揚げ糸は高強度ポリエチレン繊維で4~500メートル上がるという高性能なものだった。滝口はもと気象学の研究者で、昔も今も気象観測器を吊るして凧を上げているという。やがて、原発の故障隠しと戦争中の風船爆弾の話になっていく。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)
地球物理学者の伊与原さんだけあって、いつものように地球物理をネタにした話が興味をそそる。出会う人物も魅力的で、透明感ある文章に魅了される。派手さ、迫力、執念はないが、爽やかに引き込れてしまう話しぶりが私の好みだ。
あとがきの謝辞と参考文献を見ると、それぞれにネタについて周到な準備をしていることがうかがえる。ただ、スイスイと書いているように思えたのだが。
女性は平均的な女性が多いが、男性は平均的な男性は少ない。したがって、女性が平均的な男性を求めても、彼女がまともだと思える男性には出会えないことが多い。(p186~187)