かぶれの世界(新)

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宮沢喜一元首相死去

2007-06-29 10:58:31 | 国際・政治

首相死去のニュースが昨日午後流れた。国内外のメディアは保守本流・経済通・外交通・アジア関係重視・護憲派・戦後最高の知性・積極財政論者・格調高い英語の使い手等々宮沢氏の多彩な才能を評価している。私は少し辛口の言葉をおくりたい。

彼の政治キャリアは1951年サンフランシスコ講和条約に池田勇人蔵相の秘書官として出席して以来半世紀以上にわたるという。70年代の日米繊維摩擦時には通産相として日米交渉を取り仕切った。私には遠い昔のような気がする、そんな昔から既にリーダーとして貢献して来た。

しかし、私の宮沢氏の印象といえば「バブル」に尽きる。プラザ合意後、蔵相に就任し内需拡大策をとりバブルをもたらした。90年代に入りバブル崩壊後に首相就任、不良債権の問題を的確に認識し金融機関への公的資金投入に言及するも反対を押し切れず実現しなかった。

戦後最高の知性とまで高く評価されても、厳しく言えば結果として戦後最悪の国難に向かって舵取りをした船長であることに違いは無い。米国最高のブレインといわれたケネディ政権がベトナム戦争の泥沼に向かったように、最高の知性が最良の結果を生むわけではない。 

小泉前首相の何が何でも信じる方向に突き進むというより、宮沢氏の場合はそれがおかしいと思い、個人的に大嫌いでも利害調整して落し所を探す調整型の官僚的政治スタイルであった。それが我が国最高の知性を殺してしまった。個人的にも我が国にとっても不幸な出来事であった。

造改革が本格化し公共投資を大幅に削減する動きが具体化した頃、宮沢氏はインタビューに答えて「私は今も基本的にケインジアン」といって、従来の「大きい政府」政策支持を表明していたのが鮮明に思い出される。筋金入りの積極財政論者だが、私には懲りてないなという印象を受けた。

憲法改正やアジア外交問題など広範な政治領域で示される高い見識は、評論家としては申し分ないのだが、彼の冷めた喋り方は私のような凡人には他人事のように聞こえ、熱意を持って見識を具現化していく迫力を感じなかった。

宮沢氏は何もかにも見え過ぎて、肝心なことだけやればいいという小泉前首相のある種の乱暴さが欠けていたのではないかと思う。それではあちこち抜かりが出て非難を受けることになる。それを避けようとして出来なかった、宮沢氏の最初のキャリア大蔵官僚の性格の表れだったのだろうか。

今回の報道で初めて知ったのだが、宮沢氏は日韓W杯の招致委員長で日韓同時開催を韓国側と推進した功績があるという。当時日本と韓国は激烈な招致競争をしており正に必要な政治判断であった。それが的をえた判断であったことは大会の成功とその後両国民感情の融和が進んだことでも証明された。

報道によれば宮沢氏の最後の言葉は「少し休ませてもらう」で、眠るような最後であったという。こういう記事を見るとほっとする。謹んでご冥福を祈る。■

コメント
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