かぶれの世界(新)

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悪魔のデフレスパイラル、それとも新世界?

2010-01-09 23:46:06 | 社会・経済

文藝春秋の新年号に中吊り広告を見て気になっていた記事がある。「ユニクロ型デフレで日本は沈む」と題した浜矩子氏と荻原博子氏の対談だ。昨今の激安合戦が続くと自分の首を絞めることになると警告する内容である。私が注目した部分を要訳すると以下のようになる。

『荻原氏が、リーマンショック以降消費者は多少安全性が怪しくとも、安ければいいという方向に流れてきた、4年前節約家計モデルの食費が月4万円だったのが最近は1万円台、40代の大企業課長と妻・子供2人の四人家族の平均年収手取り500万円の食費が月4万円になったと指摘。

(手元にある2000年の家計支出動向調査によれば、全国勤労者の4.4人家族の可処分所得は約370万余だが、食費が7.2万円だった。日本の典型的な中産階級の家計の食費が僅か月4万円とは衝撃的で、その信憑性は不明だがここでは議論しない。)

それを受けて浜氏が、「デフレが命にかかわるところまで来ている、誰も潤ってない」と膨らませる。各人が合理的な行動をしているのに、全体的には合理的とはいえない不利益が生じる「合成の誤謬」が起こっていると解説。蛇足だが、ここでこんなコンセプトが適用されるとは思わなかった。

氏は続けて、昨年第3四半期のGDP成長率が実質4.8%だったが、名目では-0.3%であり生活実感に近い。大手スーパーまで安売り競争に巻き込まれ「市場」という名の土俵がまともに成り立たない構図になった。市場が合理的で妥当な価格形成の場として機能しなくなっている、消耗戦の行き着く先は「そして誰もいなくなった世界」になると。

更に議論は進み、安売り競争により社会の基盤がかなり壊されている。民間会社の年間給与が97年から10年間で30万円も下がり437万円になった。ボーナス減で住宅ローンの支払いに苦しむ家計が急増した。高齢者の介護が心配でお金が使えない、リタイアしたら子供の世話になるという人生の大切な環境さえ壊れた。

昨年9月の物価は米国-1.3%、EU-0.3%に比べ、日本のデフレは-2.3%とひどい。その原因は日本がグローバル化に過剰反応した為で、元をたどれば小泉改革が規制緩和と市場原理を推し進めた為と浜氏は指摘する。

続けて、日本がグローバル化に適応する過程で、コスト削減を求めて海外移転、非正規雇用が進んだ。経済の構造自体の変化に起因するデフレなので、景気回復や財政出動で改善するものではないと結んでいる。』

対談を読んで私は混乱した。というのは、両氏の考えのベースを合わせることなく、デフレという1点で無理やり二人の会話の流れを繋げている印象を受けたからだ。端的に言うと萩原氏はデフレ(らしき)実例をあげて大変だと騒ぎ、浜氏はツマミ食いして持論に持ち込もうとしている。

だがいくらなんでも、リタイアしたら子供の世話になるという人生の大切な環境が壊されたことまで安売り競争のせいにするのは、浜氏の日頃物事を論理的に説明しようという姿勢から信じられない、粗っぽくて乱暴な議論だ。

二人の対談には議論の基本となる重要な認識が欠けていると私は考える。それは日本市場の二つの特異性、高価格構造と消費者特性である。

私は安売り競争と決め付ける議論の安易さが気になった。効率の悪い流通や卸などの中間コスト、返品や販売員などの商習慣、過剰な保護や規制などで、日本の高コスト構造が今でもある。ユニクロを始めとする価格競争で先端を走る企業はこれらの問題を乗り越え、顧客視点で革新的なビジネス・モデルを作り出したもので、単に利益を削って安売りを仕掛けたわけではない。

従来モデルで商売をやっていた企業は結果として値下げを迫られ、利益減・コスト削減・雇用調整に追い込まれた。これは当然の経済原則の基づいたあるべき市場の姿であり非難すべき何物でもない。日本の特別な高価格構造にすがったビジネスは、何時の日か維持出来なくなる、それがたまたま下記のように最悪の時に来たというべきだ。

元々日本の消費者市場が特別だった。80年代のバブルが弾け、失われた10年があり、今世紀に入って貧富の格差拡大が話題になっても変わらなかった。リーマンショックまでは、日本の消費者の多数(中産階級)は高価なブランド品を買い続けた。他の国では富裕層が買う商品だ。

欧州等のブランド企業にとって日本の消費者は不思議で特別だった。私にとっては、借金してでも消費する米国消費者とは別な意味で、日本消費者は信じられない程非合理な消費者であり、日米共に長くは続かない市場現象だった。このような消費者に頼ったビジネス・モデルは維持できない。従って、昨今の百貨店の経営難はいわば予定されていた。

浜氏の経済の構造変化に起因するデフレ脱出は容易でないという認識は、私も概ねその通りであると思う。しかし私に言わせれば、それ以前の仮定と結論にいたる議論として、上記の日本の特異性に触れないのは、いかにも粗っぽい議論のように思う。

そこを間違うとこの先に来るあるべき姿と、そこに到達する道を誤る、と私は指摘したい。行くつく先は上記の二つの特異性が薄められ、代わって本物の価値のある特異性をもった市場に行くべきと考える。移行の間の激変緩和は考慮すべきだが、過剰な保護で変れないビジネスを残すべきではない。■

コメント (1)
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