かぶれの世界(新)

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新・日本病の処方箋

2011-03-06 16:57:00 | 国際・政治

出色だった日経の提言

ニュースの主役が中東情勢とNZ地震から、大学入試のネット投稿に移ったと思ったら個別問題とわかり急にトーンダウンした。昨日辺りから前原外相の外国人献金問題が一面トップ。大学入試のカンニングでこれ程大騒ぎしたことはかつて無いし、献金額5万円で大臣辞任したという記憶も無い。毎日こんなニュースばかりが1面に来ると正直うんざりする。

だが、その中で3/5日付の日本経済新聞の記事「政争より政策協議急げ」は本来のメディアの役割を果たす注目すべき記事であった。「4大政党の主要な政策課題の考え方の開きは小さい。優先順位に違いはあっても個々の政策に対する賛否はかなり似通っている、予算と関連法案を巡って国会での争いするより政策協議を急げ」と提言するものだった。

予想通りの展開

しかし、この記事を読んで残念だけどこの提言を真面目に取り上げて進むことはないという諦めの気持ちが湧いた。特に国民の意識付けに最も影響力のあるテレビでこの種の議論は絶対されないだろうし、他の新聞が声を合わせて同様の提言をして民意を作り出すこともないだろうと思った。肝心の日本経済新聞でもこの記事は3面、その後は寧ろ政局報道が目立った。

日経がこういう記事を書いたこと自体は良く書いたと思うし、他の新聞では出来ないことをやったと褒めたい。私にとってはその後の展開が重要だった。が、週末の政治討論会での議論を見聞きする限り、この貴重な火種は水をかけられ不発だったように感じる。菅内閣の政治手法の拙劣さもあるが、野党の対応にも大きな責任がある。たしなめないテレビも予想通りだった。

新・日本病

数年前と比べてどうも事態は悪化しつつある。その間にリーマン・ショックとそれに続く世界同時不況はどの国と個人にも経済以上の打撃を与えた。だが、そこから立ち直り方が日本の信頼を損ない国民は自信を失ったように感じる。今、多くの人達はアジアの人達と同じレベルにたち競争して負ける事態に直面している。私が会社勤めしている頃は考えられないことだった。

「失われた10年、とか20年」といわれ酷評されてきた我国だが、この数年は「失われた」という表現では甘すぎる状況になった。「失われた」には良くならなかったという意味が含まれているが、状況は(相対的)悪くなり始めたというべき新しい状態になった。「新・日本病」とも言うべき新しい症状だ。「停滞の次は回復とは限らない」という恐れを私は秘かに感じる。

怖いたとえ話

「大きな滝に向かって川を下る豪華客船で、船長派と前船長派が互いを非難し、航海長と事務部は離反、通信員は冷笑して船長達の非難合戦を面白おかしく伝え、お客は船の行き先よりゴシップの方が気になり、今夜の食事と出し物が良くないとクレームする。」

それだけならいいのだが、その次にもっと怖い第2部がある。

「その間にも船は刻々と滝に近づいていく。前方を見るとギリシャ丸やアイルランド丸他何隻か小舟が見える。対岸では既に安全地域に逃げ延びた目鼻の利く人達がいて、どの船が先に滝に落ちるか借金してまで賭をしている。よく見ると中には日本人もいるではないか!」 これは現実の話、笑い話ではない。

国民は選挙で意思表示するしかない

冒頭の日本経済新聞の記事がいうように、対立する与野党間の個々の政策の開きは小さく日本の課題は明確である。にもかかわらず緊急な政策課題をクリアする政策を阻んだ政治家は、その政治行動を調べて次の選挙で落選させるべきだ。

「誰を選んでも何も変わらない」という理由で投票しない選択をするより、今日の状況を引き起こした政治家に責任を取らせ落選させる為に、少なくともそれ以外の政治家に投票するという選択をすべきだ。メディアはその選択を容易にする為、全政治家の個別政策の賛否とその為に何をしたかを詳細に調べて国民の前に示して役目を果すべきと私は思う。それは最低限の責任だ。■

コメント
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