かぶれの世界(新)

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東京脱出

2011-03-14 23:59:11 | 日記・エッセイ・コラム

1ヶ月半前から予定していた田舎行きが、偶然にも計画停電の初日で首都圏の交通網が大混乱した今日になった。昨夜、東京電力の計画を聞いて急いで交通各社のホームページをチェックし、運行計画を確認しようとしたが具体的な情報が見当たらなかった。凄く不安になった。

普段は府中から南武線で川崎に出て京急線で羽田に行く経路が最も早く、一時間余りで空港に到着する。友人から交通網が混乱しているから、余裕を持って出かけるよう助言を受けていた。JRは自前の発電設備を持っているので大丈夫だろうが、私鉄は難しいというのが昨夜調べたツイッターの推測情報だった。

だが一夜明けてテレビを見ると、府中を通る電車は朝9時までの京王線以外は全て運休だった。吉祥寺駅の大混雑振りを見て若干ビビッタが、中央線の駅にバスで行きそこから羽田に行く腹を決めた。9時20分から停電でテレビも見られなくなる。駄目なら戻ってくれば良い、と。

準備していた本や衣類を至急荷造りして近所の米屋に宅急便を依頼すると、何時着くか分からないと条件付で受け付けてもらった。手続きしている間にお米やカップヌードルを纏めて買っていく人達が次々と来た。彼らは念の為と言う。オヤジは停電で精米機が動かなくなるのを心配していた。

出来るだけ軽装で支度をして府中駅のバス停に向かった。駅の係りに聞くと東京方面に行くなら武蔵小金井駅行きのバスに乗れと教えてくれた。待つ間もなくバスが来て10時半頃出発したが、小金井市街に入り駅に近づくと殆ど前に進まなくなった。中には待ちきれず途中で降ろせと運転手に交渉して断わられる乗客もいた。私も同じ気持ちだったが、断わられるのは分かっていたのでじっと我慢した。その間息子とメール交換し、気になっていた原発の事故情報を聞いた。

それでも11時過ぎには小金井駅に着き、駆け上がるとホームにはチラホラ人がいるだけ。朝の長い列と大混雑は終っていた。間も無く到着した快速電車は休日の昼間より更に空いていた。20度前後の暖かい昼中の車内外の景色は、まさにのんびりした春だった。電車は時間調整の停車を繰り返しながらも順調に新宿を過ぎ、神田で京浜東北に乗り換え浜松町に向かった。

最近全く利用しなくなったモノレールに久しぶりに乗ると、窓から見える景色が90年代とは随分変わっていた。乗客は少ない。窓から見える東京湾は暖かいのどかな春の海という感じだが、大地震の影響が生活にモロに影響を与えた最初の日ということか、表情に厳しさを感じた。

1時過ぎには羽田に着くとターミナルはいつもと変わらず人で溢れていた。ゲートに並ぶ乗客の長い列がいつもと違う印象を与えた。地上員の女の子に聞くと、今日は電車の運行が制限されているせいか、時折一斉に乗客が来て並ぶのだそうだ。出発時間の迫った乗客の優先を呼びかけるスピーカーの声が切迫感を高めて落ち着かない気分だった。

だが、時間は十分ある。チェックイン後、ゲートの近くで軽食を取った。最後まで空港に着くかどうか不安だったが、昼食後はようやく落ち着いて読みかけた本の続きを読み始めた。搭乗後も読み続けて4時前には松山空港に着いた。空港ロビーで見た人達の顔は穏やかというか、緊張が感じられない印象を受けた。私の意識過剰かもしれない。

その後も順調で5時過ぎには伊予大洲駅についた。タクシーで実家に向かう途中運転手さんに聞くと、東京から離れたこんな田舎町でもスーパーの商品が纏め買いされて品薄になっているものがあるという。消費するのではなく、東京に送るのだという。そんな必要ないとお互いに合意したものの、それが人の心というものだと意見が一致した。

実家に着くと、昨夏とは違い庭には雑草が無く荒れていなかった。家の中をさっと見渡したが何も異常がなかった。バッテリーを接続して車が動かし、近くのスーパーに行き食料を仕入れた。田舎ではやはり車は必須だ。

買ってきた弁当を一人食べながらテレビを見ると、中央線の三鷹駅や京王線の調布駅から先の交通手段が無くバスやタクシーを待つ長い列が映っていた。日本人は働き者だ。通勤以外の電車利用者は殆どいなかった。そういえば計画停電が明らかになる前から娘夫婦の勤める会社は今日から自宅待機になっていたと聞いた。事前にそういうシグナルがあったのかもしれない。

思いついて東京の自宅に電話すると、凄い覚悟をして出かけた私の姿を見ていた息子は、「東京脱出」したねと言った。ま、そうかな。■

コメント
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