かぶれの世界(新)

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テレビとインターネット放送

2011-03-12 14:44:55 | ニュース

生まれて初めて経験する大きくて長周期の揺れだった。一瞬目眩がしたと思ったが、地面が揺れるのを感じて地震とわかった。全てのテレビは地震を伝える特別番組に切り替わった。これがテレビ本来の報道の責任と役割を果しているな、と実感した。

夜になって娘が家族の消息を調べて携帯メールを打ってきてくれた。携帯電話は全く通じないがメールは何とか通じた。長男の家は固定電話がなく嫁の両親と連絡が取れないというので、私から固定電話で連絡をとり無事を確認してメールで知らせた。こういう緊急事態で個人の携帯機器をもっと役に立つようするのは今後の課題だと思う。

源地から遠く離れた東京の経験なので一概には言えないが、インターネットは地震の影響が少なく比較的強固な通信システムだった(実際どうだったか専門家の調査を待つべきだ)。NHKとフジテレビは番組をインターネット動画に流して視聴者全員をカバーしようとしていた。

これをテレビとインターネットが互いに補完し合う取り組みと評価したい。私は「ニコ生」を見たが、視聴者の反応のメッセージが画面に表示されるのを見て、テレビの持つ言いっ放しの一方向性通信を補って一体感を出し新鮮さを感じた。こういう事実を伝える純粋な報道でもそう感じた。

画面が伝える圧倒的な映像は悲惨だが、迷い無く視聴者に事実を報じようとするテレビ報道の姿に爽快感を感じたのは私だけではないと思う。何故かと考えたのだが、どうも普段物知り顔で評論する先生達の顔が出てこないせいと気がつき、一昨日のNHK番組「クロ現」を思い出した。

ロ現とはNHKのニュース番組「クローズアップ現代」のことだそうで、NHKの当事者たちがそう呼んでいたからいいのだろうが、私には語感が良くない。それはさておき、新聞でタイトルが「テレビはいらない?! ~急成長するインターネット放送~」を見て期待を持って視聴した。

番組でメディアジャーナリストの津田大介氏は、テレビ報道の問題は1)テレビは発信源の一部だけを取り出し、2)編集し解説して報じることであると指摘した。ニュースソースを全て聞いて自からが判断するという視聴者の声を反映したもので、普段まさに私が感じてきたことだった。

検察が事前に書いたシナリオに基づいて恣意的に調書を作ると非難するテレビに対し、テレビの恣意的なニュースの取り上げ方と編集を指摘した。例えば、インタビューに応えた99を無視して、最後に乞われて追加したコメント1だけをシナリオに合う発言として取り上げ報じる姿勢だ。それだから、全てを報じるインターネット放送が支持され、小沢氏が弁明の場として選んだと。

レビ番組が終了したあと、今度はNHKのプロデューサーとディレクター及び津田氏が場所を変えて「ニコ生」に登場し討論した「事後検証」が興味深いものだった。私は翌日録画を見た。テレビ番組と違い時間の制約が緩いので、議論はやや冗長だったがあるべき姿に迫るもののように感じた。

この事後検証そのものがテレビの一方向性を補完する、非常に意味のある試みであるように感じた。又、民放の情報リテラシーがボトムラインに設定され、エンタメ化したニュースバラエティ番組の問題が議論された。論議を私風に意訳すると、民放テレビはもっともらしく政治と事件やスキャンダル等を一緒くたに鍋に入れて笑いを抽出し、視聴者にカタルシスをもたらしている。NHKもその傾向を追っていると懸念が示された。

このところ報道が政治を劣化させていると繰り返し指摘して空しさを感じてきた私だが、私の懸念をこれほど見事に代弁してくれたテレビ・インターネット合同の番組を見て救われる思いをした。私の印象ではインターネット放送をやっている人達は判っていたと思うが、既得権の最高峰にいるNHKがこの試みをやった姿勢を高く評価したい。ネチズンの意識の高さもしかりで、今後が期待できると感じた。

大地震報道は民放にも報道のあるべき姿を思い出させたと期待したい。ついでに言うと、国会審議をそっちのけで厳しく対立していた国会議員諸君も頭を冷やし、国民にとって何が大事かもう一度考えて戻って来るチャンスを与えられた。それにしてもこの大地震でマヒ状態にある日本が円高になるとは、市場は理屈じゃない!?それは又、次の機会に。■

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