かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

37年目のブーメラン

2012-02-20 23:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

今度は何十年も経って帰ってきて私を痛撃したブーメランだ。先週土曜日に家族揃って築地でスシを頂いた。大江戸線の築地市場駅を下りて晴海通に向うと、昼食時の観光客が広い歩道一杯に埋めて中々前に進めず10分以上遅れて、やっと息子が予約してくれたお店に着いた。

そこは初めてのお店で、スシは前もって味付けがされているいわゆる江戸前で、最近回転寿司しか食べない私には珍しい味だった。私にはトロなどの巻物のほうが美味しく感じた。その後、近くのカフェで甘いものと一緒にコーヒーを頂き、夫々の家族の話題を聞き楽しく過した。

これを最後に田舎のがんセンターに行き検査を受け、暫らく田舎暮しをする。体調は悪くないが万が一検査で悪い結果が出るかもしれないという不安が1%くらいはある。家族は口に出さないが、内心そう思っているかもしれない。皆に言うべきことは言っておこうと思った。

そう思って休みを満足に取らないで猛烈に働く息子に助言をしようと口を開くと、彼は直ちに私の自慢話など聞きたくないと遮った。自慢話などする積もりはないのだが、いつものようで又かという感じだ。そんな息子の態度は昔私が父にやったこととそっくりだ。私も当時父が話を始めた途端、直ぐ話を遮った。拒否した。

続けて娘も「お父さん昔話はもう止めな」みたいなこと言った。他の連中は知らん顔している。私の負けだ。私もこんなことで喧嘩するつもりは全く無かった。多分、当時の父もそう感じたと思う。今頃になって子供達に話を聞いてもらえない父の寂しさを感じた。

青春時代の10代後半から父が死んだ20代後半までの間、私は父とまともに会話した記憶が無い。父は何かといえば自分の仕事のことや彼の経験から何かを言おうとし、私は端から聞く耳を持たなかった。今の言葉でいうと「ウザイ」と一刀両断、聞こうともしなかった。私の息子より酷い態度を取ったかもしれない。息子は既に30代半ばだが、私がその年齢の頃父はもういなかった。

息子が話を聞いてくれない父の気持ちがどういうものか37年経ってやっと実感した。この数年何度か類似の体験をして慣れてきたせいもあるが、家族全員の前で公然と拒絶されても私は反発もしなかった。感情的にならなかったのは、愛する子供だからか、父の記憶が甦ったからか、或いは単純に年をとったせいか。午後羽田を発ち実家に戻り、今書斎で思い出している。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする