23日に実施された都議選は、自公の圧勝と民主の第4党転落がハイライトで、共産とみんなの躍進、維新の期待はずれ、生活・社民・みどりの全滅で総括され、ある意味分かりやすい結果だった。というのも、大方の予想通りの結果だったからだ。民主の敗北は当然で、未だに失敗の責任者の一人輿石氏がいること事態が信じられない負けるための布陣だったといえる。
自公の勝利は経済政策(アベノミクス)の支持と民主党政権の破綻に加えて、維新の迷走とみんなとの連携の失敗が後押しした。その上記録的な低投票率(43%、前回は54%)で組織票のある自公共が有利なのは明らかだった。元々東京都固有の特別な争点が無く、ある意味安倍政権の信任投票的な性格が強く、まさに参院選の前哨戦であったといえる。
だが、このようなミエミエの結果にも先々の変化を予感させる新しいトレンドを見出してみたい。具体的なデータは無いが例によって誤解を恐れず個人的な印象を述べる。
先ず、最近の選挙が失政した前政権を容赦なく叩きのめす「懲罰的な結果」になっていることだ。加えて小泉郵政解散で衆院自民圧勝、第1次安倍政権で自公敗れ参院ネジレ、衆院民主圧勝で政権交代、大震災選挙で参院再ネジレ、自公衆院圧勝で政権交代と選挙結果がシーソーのように振れた。今回の都議選もそのシーソーの延長線上にあった。このシ-ソーはかつての資本主義vs共産主義のような思想的転換ではなく、選挙公約を守ったか突発事故に対処できたかの類だ。
私の印象では、この「シーソー現象」は今世紀に入りポピュリズムが進行したためと考える。小選挙区の導入により政権交代が起こりやすくし、且つ安定政権かする狙いがあった。だが、中選挙区の都議選でも結果はギッコンバッコンした。必ずしも選挙制度がシーソーの原因ではなく、選挙民自身がもたらした結果なのだ。という事は、結論を先に言うとマスコミの影響を受けて投票する人達が増えた為と私は考える。
マスコミ報道、特にテレビニュースは大きな問題はプラスとマイナス両方をテーブルに並べない、マイナスのみ繰り返し報じる傾向が強い。紙面に余裕のある新聞より時間制約のあるテレビにその傾向が極めて強い。最近新聞を読まない人達が増えた結果、テレビ報道を見て全体像を理解できないまま投票する人の比率が高まっていると感じる。
深刻な問題はテレビを作る人達にそういう認識が無いことだと思う。ジャーナリストとしてしっかり教育を受けた人より視聴率稼ぎの上手な人が思いつきの意見を言っている感じがする。特に原発事故報道にその傾向が強く、悪いデータと被害者の情に訴える声のみニュースになった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い方式のニュースだ。都議選を見て我国の選挙は人物や物事の善悪含めトータルで物事を考え判断することが出来なくなりつつあるように感じた。
となれば絶対にミスは犯せない、しかしミスは必ず起きる、となると為政者はミスを隠すようになる、そういう体質が大小に関らず全国にあるように感じる。幸い、安倍政権は前回の失敗を経験し、今のところ上手くやっている。つまらないミスでマスコミに揚げ足を取られないよう気をつけている。逆にマスコミ利用上手の橋下大阪市長はミスを犯し失速したのと好対照だ。だが、これが国のあるべき形かどうか私は疑問だ。橋下氏の失言で彼の提案した全てが悪かった訳ではない。■