3日前に広島高裁が地裁の決定を覆し、伊方原発3号機の運転を禁じる決定をしたと報じられた。判断のポイントは1万年に1度の確率で阿蘇山が噴火し火砕流が到達するリスクに対応していないというのが決定の理由だと報じられた。その確率を現実的なリスクと見れば決定は正しいと思うが、私には違和感があった。
ちょっと待てよ、おかしくないか。もし阿蘇山の噴火で火砕流が海を越えて伊方町まで届く事態が起こったら、その半分もない距離にある熊本市や大分別府など多くの町に住む人達は一体どうなるのだろう。最早原発どころの話ではない、九州に住む何百万人もの人たちの生命の危機に見舞われるのではないだろうか。
この決定は人命を守る為に九州に人は住んではいけないことを意味するのではないか。普賢岳の小さな火砕流でも多くの命を奪った。更に直接でなくとも火砕流が石油精製所や天然ガスなどに引火して被害を大きくする恐れがある施設は阿蘇山の周りに数限りなくある。原発禁止だけで1万年に1度のリスクには対応できない。
原発だけ1万年に1度のリスクに構えよというのはバランスに欠けている。今迄にも何度か指摘したが、2万人もの命を奪った東日本大震災の後で、福島原発の事故だけを悪者にした発想と同じだ。これでは、自然災害をトータルで備えて被害を最小化することは出来ない。「原発事故は防げた、だけど何十万人かは亡くなりました」となるだろう。
私の実家は伊方原発から30km以内の愛媛県大洲市にあり、南海地震に備えた対応は四国電力から定期的に広報が届き避難訓練もされている。実家から西に200km足らずの所に阿蘇山があり、小学校の修学旅行先だったこともある。阿蘇は遠くの憧れの観光地であり避難の対象ではなかった。ずっとそうあって欲しい。■
ちょっと待てよ、おかしくないか。もし阿蘇山の噴火で火砕流が海を越えて伊方町まで届く事態が起こったら、その半分もない距離にある熊本市や大分別府など多くの町に住む人達は一体どうなるのだろう。最早原発どころの話ではない、九州に住む何百万人もの人たちの生命の危機に見舞われるのではないだろうか。
この決定は人命を守る為に九州に人は住んではいけないことを意味するのではないか。普賢岳の小さな火砕流でも多くの命を奪った。更に直接でなくとも火砕流が石油精製所や天然ガスなどに引火して被害を大きくする恐れがある施設は阿蘇山の周りに数限りなくある。原発禁止だけで1万年に1度のリスクには対応できない。
原発だけ1万年に1度のリスクに構えよというのはバランスに欠けている。今迄にも何度か指摘したが、2万人もの命を奪った東日本大震災の後で、福島原発の事故だけを悪者にした発想と同じだ。これでは、自然災害をトータルで備えて被害を最小化することは出来ない。「原発事故は防げた、だけど何十万人かは亡くなりました」となるだろう。
私の実家は伊方原発から30km以内の愛媛県大洲市にあり、南海地震に備えた対応は四国電力から定期的に広報が届き避難訓練もされている。実家から西に200km足らずの所に阿蘇山があり、小学校の修学旅行先だったこともある。阿蘇は遠くの憧れの観光地であり避難の対象ではなかった。ずっとそうあって欲しい。■