かぶれの世界(新)

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私的・東芝を巡る思い出

2017-12-11 12:57:32 | 社会・経済
東芝の元社長西田厚聡氏が亡くなったと報じられた。まだ73才だったという。今までずっと年上だと思っていたのに、年令的に私とそう違わないことが分かりもう一度驚いた。私にとって西田さんは東芝のパソコン「ダイナブック」を世界のトップブランドにした立役者というイメージが強烈で、高く遠くにそびえる競争相手の親分であり目標だったからだ。以降国内市場では頑張って戦えたが世界マーケットでは後塵を拝した。

その後、東芝デスクトップ・パソコンの存在感が薄かった浜松町にOEM売り込みに行った時、西田氏はパソコン事業を統括する役員で打合せした配下の方も役員だった記憶がある。本社ビルの最上階に近い大会議室に少人数が顔合わせした時、遠景も部屋も何もかもピカピカ光っている様に見えた。多分打合せの内容は西田氏にも報告されたと思うが、暫くして取引は成立しなかったと営業から報告があった。

その後、西田氏は社長就任しウェスティングハウス(WH)を買収し原子力事業でも世界企業を目指す、当時既に退職していた私の目には天に昇る勢いで登り続ける龍のように見えた。だが、報道ではリーマンショックで巨額の赤字を出し、東日本大震災で原子力事業は致命的な打撃を受け、西田氏の命運も尽きたようだ。

一旦そうなると次々と西田氏の不適切な経営手法が暴露された。トップの強烈なリーダーシップが社員の尻を叩き成果を出した時代もあった。だが、そういうやり方はITバブル以降通用しなくなり、今日まで東芝の危機が続いている。失望の中で西田氏の死因は急性の心筋梗塞だという。状況は全く異なるが同じ病気で死んだ父の晩年の姿を思い出した。

東芝は半導体事業売却の制約になっていたWDとの交渉の目途がたち、最悪事態は避けられそうだと先日報じられた。東芝との打ち合わせと同じ頃だったと記憶しているが、カリフォルニアのWD本社に行ったことがある。同社はパソコン用の小型(2.5’)ハードディスクのトップシェアのメーカーで、ロスから車で南に走りアーバインの小奇麗なビルで購入の交渉をした記憶がある。その時強く印象に残っているのは対応してくれたマネージャや担当が、ほぼ例外なくかなりの美人だったことだ。特にマネージャはモデルみたいだった。

取引がどうなったかなんて覚えていない。私風に言うと「キレイなおネーちゃん」が滔々と繰り広げるセールストークをただ眺めていた。内容も覚えていない。ただその印象だけが強く残っている。日本に戻ってその話を取引先の知人に話すと、米国の会社にはそういう営業スタイルをとる会社があるとのことだった。米国の同僚に聞くと特にWDの営業は美人を揃えていることで知られているという者がいた。成程ねー。

実は取引先の米国支社の営業マネージャも女性で、颯爽と男性スタッフを引き連れて現れ会議を仕切っていたと言うと、彼もその女性のことを知っていて話が盛り上がったことがある。ちょうどそういう時代だった。だが、彼女達は決して能力がないのに美人だから昇進した訳ではなかったと思う。それまでは能力があっても昇進できず男性上司の下で働いたのが、能力があり美人であれば文句なく昇進できるようになった時代だったのだと思う。美人じゃないと損する?よく分からない。

話は脱線した。その時の印象だけで申し訳ないが、WDは若干本筋を外したやり方をする会社だと、今回の東芝とのちぐはぐな交渉を聞いて思い出した。その頃とは経営陣が入れ替わっており、無責任で無理なコジツケだがそれしか記憶がないのです。ゴメンなさい。■
コメント
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