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体験的・自分の身は自分で守れ

2018-03-01 21:26:09 | ニュース
1月に投稿した記事「私が身の危険を感じた時」で、会社の仕事で熱中したり圧力を受けて健康を害しそうになった時の経験を紹介した。それは一人前の社会人になった後のことだった。その50年近く前に入社後まだ余り月日が経ってない時に職場の上司から助言を受けていた。それが余りに印象に残る内容だったので未だに鮮明に記憶に残っている。

エンジニアとして働き始めたばかりで気合だけ先行し、まだ先輩の雑用をしてていた頃に職場の部長代理が新人連中を前に次のように助言してくれた。「健康には自分で気を付けよ、誰も守ってはくれない。自分の身は自分で守れ。」と。仕事が大好きで時間を忘れて働き勝ちの我々に対する警告でもあった。

正直言うと、近年上司の指示で限界を超えて仕事し過労死に至り、遺族が会社を訴えるというニュースを聞くたびに違和感があった。過労死した彼や彼女は「自分の身は自分で守る」という人として基本的な生きる術を身に付けていたのだろうか。私は長い間生きて来て最近の日本人には足りない術かもしれないと思うようになった。

今国会で働き方改革の一環として裁量労働の法制化が一旦頓挫する見込みとなった。経過を見ると厚労省のずさんな調査に基づく法制化には無理があると思う。しかし、野党は元々法案に反対だったと思う。幸運にも反対する口実を見つけただけだ。だが、労働生産性で我が国を大きく引き離す欧米の状況を見ると、反対するだけでは我が国経済は益々停滞するだけだと憂慮する。

人の能力と同じよう働き過ぎの限度にも夫々個人差がある。平均値で人の能力の限度を決めてしまうより、天才や運の強い人達、粘り強い人達に十分力を発揮させ全体として社会を豊かにするシステムにすべきだと思う。平均値で国の能力を決めてはならない。その為には裁量労働制は悪い考えではない。

その下で各人は「自分の身は自分で守る」術を身に付け、一線を越えたら自らの判断で一時停止すべきではなかろうか。日本人は何時から自分の運命を自分で決められないひ弱な花になったのだろうか。■ 
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