かぶれの世界(新)

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3.11に東北グルメ旅行(2)

2018-03-13 09:07:31 | 旅行
2日目の朝起きて息子は良く眠れなかったというが、私は温度調整の積りで下着姿で普通通りに眠れた。暖房を切っても朝寒いとは感じなかった。予定通り8時半過ぎにホテルを出て東北道から常磐道を経て10時過ぎには松島に着いた。途中外環道から見た仙台市は広く海側に広がる市街地は雄大だった。

初の松島はこじんまりしているが歴史ある観光地といった印象だった。表向き3.11津波被害から立ち直りが早いと感じたが、海岸線を歩くと回復したのは観光地の核になる部分だけだった。町の北側の観光協会のカキ小屋は工事現場の掘立小屋風だった。観光メインの出会い橋や五大堂から観光桟橋辺りは整備されていたが、そこから先の遊覧船案内所に向かうと防潮堤の工事の真っ盛りだった。

暇そうな係員を見つけて聞くと工事は今年中に終わる予定と自信なさそうな答えだった。防潮堤の高さは約2m、観光で食っていく松島は海が見えないと話にならないという。他地域の12mの防潮堤等あり得ないとの返事。海岸沿いの新店舗も覚悟の居並びだ。防潮堤の後の減災手段として後方の山に続く斜面を作る計画、だが何時出来るか分からないという。僕は生きてないねと笑わして分かれた。

更に南に向かうと県の松島管理事務所があり、道路側の壁の約2m位のところに津波浸水深さを示す表示があった。同じ津波が来れば海岸沿いのお店の1階部分は全滅になると思った。明らかに松島町は覚悟してやっている。「それ相応の対応を準備してるはず、土地の判断を尊重すべき」だろう。

其の後、洒落た朱色の橋を渡り雄島に行った。ここから見る松島湾は美しかった。家内と息子が別行動で見学した瑞巌寺に詣でた松尾芭蕉が雄島を訪れ詠んだと句碑があり、ここまで足を延ばす観客もぽつぽつといた。4人組の若い女性を見かけるとつい癖が出て、写真を撮ってあげるといつものアプローチで馬鹿な会話をして笑わせた。美しい松島で美女と歓談するのも悪くない。

だが限られた自由時間では戻る他に選択はない。11時の早い昼食が待っている。昼食はカキ2つとホタテ1つに味噌汁で、冗談でしかない。これでグルメとは。しかも大勢の人に一気にサービスする為か、下処理が酷くマズイ。その後割引券で頂いたズンダ・ソフトクリームがやけに美味しかった。それでも物足りず、他のお店に行き息子が頼んだ焼きガキの方が余程おいしかった。

次に冬桜で有名だという塩竈(釜)神社に参拝したが、残念ながら3週間前に桜は散ったそうだ。では何故ここに来たのかと思った。塩釜神社は塩づくりを広めた神様だそうだ。それから多賀城に移り笹かまの工場見学と試食をした。かまぼこの材料はベーリング海付近から取ってきた魚が原料だそうだ。魚が材料なので基本タンパク質なのだという。新発見! 私は勝手にでんぷん質と思っていた。

管理職らしき人に聞くと、前の工場で津波被害を受け一旦復興したが2年前に機械が駄目になり、優遇措置を受けて多賀城の工業団地に引っ越して来たのだという。バスで着た印象ではここもそれ程海抜があるとは思えないと水を向けると、当時この辺の田んぼも30cm位浸水した。しかし、埋め立てして浸水対応をしたとのこと。港に近い立地も重要なようだ。ここまでで私の3.11調査は終わり。

その後は一路東北道を南下するだけ、旅の疲れで眠りを誘うと思いきや、最後の見せ場がやってきた。宇都宮の手前の下河内SAでトイレ休憩をとった後、後方に美しい夕日が見えると前の席の家内に声をかけた。その時に気が付くべきだった。ウトウトしている間にバスは東に向かい北関東自動車道を走っていた。そうでなければ後方に夕日が見えるはずがない。添乗員は何も教えてくれなかった。

友部JCTで常磐道に乗換へ再び東京に向かい走る頃は日が暮れていた。自動車道路地図を見ると八王子辺りしか頭になかった圏央道が伸びてつくばJCTで常磐道とクロスしていた。私的には新発見だ。バスは順調に進んだが守谷SA(大きくてびっくり)で休憩後に渋滞に巻き込まれた。

ルート変更は東北道の事故渋滞が原因だったそうだが、常磐道でも守屋を出て事故現場に遭遇した。そこを抜けると通常速度に戻り、首都高に乗り換えた後も順調だった。結果的にほぼ予定時刻の7時30分に北千住に戻った。これって凄いと同乗の奥さんと一緒にバスを降りる時に挨拶する添乗員を激褒めした。自宅に着いたのは8時半過ぎ、ゆっくり風呂に入りお酒を頂くことが出来た。■
コメント
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