バイデン政権のサキ大統領報道官の記者会見を伝える記事を見て新鮮な印象を受けた。この時期に報道官の発言を注目しないが、前政権のスパイサー報道官が都合の悪い報道を「偽ニュース」と決めつけ、一方で政権の根拠なき主張を「もう一つの真実」と主張する姿を見て呆れていたからだ。
彼女は「独立した報道に深い敬意を持っている。(ジャーナリストの)皆さんと一致できないこともあるだろうが、米国民に正確な情報を提供する目標は共有している」と語りました。「透明性」と「真実」に重きを置く姿勢を示して、不正確な情報発信の目立ったトランプ前政権からの転換を印象づけました。(日本経済新聞)
こんな当たり前の発言が新鮮に感じるというのは、トランプ前大統領やその代弁者が如何にインチキ情報を流していたかの裏返しだと感じた。これだけでトランプ政権が発するニュースの真偽を疑いを持ち、見聞きする気が起こらなくなった。
だが、一方で現実はそれほど甘くないと私は思う。これは悪い例ではないが、バイデン新大統領が初日から新型コロナウィルスとの戦争だと表明した。私は気が付かなかったが、米国では「戦時下においては大統領に強大な大統領権限を与えられている」のだ。意気込みを語っただけではない。
必ずしもコロナ対応だけではない、そう言う手段があることを理解しておく必要がある。だからこそ、トランプ大統領の暴走を止めるためにも「核ボタン」を持たすなと本気で心配する声があった。
逆に、マスコミもニュースの背景を深読みして色付けし報じる場合もある。事実のみを伝えるマスコミも「事実を選択する」ことにより、一つの事実をプラスにもマイナスにも色付け或いは印象付けることができる。しかし、マスコミは事実を伝えたと言い訳できる。
日本マスコミのコロナ報道は典型的な例だと思う。だが、以前投稿したようにテレビ朝日の大下容子氏のニュース番組は目線を上げて事実を伝えようとしていると私は感じる。このように伝える側の多様性は寧ろあるべき姿だと思う。
ニュースの発生源の嘘はダメだが、伝える側がそれをどう評価して報じるかは違いがある方が寧ろ正常だ。ただ、情報源を特定のマスコミのみに偏ると米国の暴動みたいな間違いが起こる。この問題は解決したわけではないし、日本の片寄った報道に懸念する理由でもある。サキ大統領報道官の記者会見は改めてこの当たり前の常識を思い出させてくれ新鮮だった。■
彼女は「独立した報道に深い敬意を持っている。(ジャーナリストの)皆さんと一致できないこともあるだろうが、米国民に正確な情報を提供する目標は共有している」と語りました。「透明性」と「真実」に重きを置く姿勢を示して、不正確な情報発信の目立ったトランプ前政権からの転換を印象づけました。(日本経済新聞)
こんな当たり前の発言が新鮮に感じるというのは、トランプ前大統領やその代弁者が如何にインチキ情報を流していたかの裏返しだと感じた。これだけでトランプ政権が発するニュースの真偽を疑いを持ち、見聞きする気が起こらなくなった。
だが、一方で現実はそれほど甘くないと私は思う。これは悪い例ではないが、バイデン新大統領が初日から新型コロナウィルスとの戦争だと表明した。私は気が付かなかったが、米国では「戦時下においては大統領に強大な大統領権限を与えられている」のだ。意気込みを語っただけではない。
必ずしもコロナ対応だけではない、そう言う手段があることを理解しておく必要がある。だからこそ、トランプ大統領の暴走を止めるためにも「核ボタン」を持たすなと本気で心配する声があった。
逆に、マスコミもニュースの背景を深読みして色付けし報じる場合もある。事実のみを伝えるマスコミも「事実を選択する」ことにより、一つの事実をプラスにもマイナスにも色付け或いは印象付けることができる。しかし、マスコミは事実を伝えたと言い訳できる。
日本マスコミのコロナ報道は典型的な例だと思う。だが、以前投稿したようにテレビ朝日の大下容子氏のニュース番組は目線を上げて事実を伝えようとしていると私は感じる。このように伝える側の多様性は寧ろあるべき姿だと思う。
ニュースの発生源の嘘はダメだが、伝える側がそれをどう評価して報じるかは違いがある方が寧ろ正常だ。ただ、情報源を特定のマスコミのみに偏ると米国の暴動みたいな間違いが起こる。この問題は解決したわけではないし、日本の片寄った報道に懸念する理由でもある。サキ大統領報道官の記者会見は改めてこの当たり前の常識を思い出させてくれ新鮮だった。■