NHKの朝ドラを見た後、洗濯物を干しに二階のベランダに出ると、直前に見たテレビ番組の大きな音声が聞こえて来た。聞こえた方向を見ると、向かいの家のベランダで洗濯物を干すオバサンの姿があり挨拶を交わした。想像した通り音声はオバサンちの窓からだった。半端ない大音量だった。
私がこの町内に住み始めた頃からの隣近所の人達は殆どが高齢者になった。このオバサンは私より一回り年上の後家さんで耳が遠くなったと思う。道ですれ違って話する時は普通に会話できるのだが、テレビの音は聞き辛いのだろうか。
オバサン程ではないが、家内も私も最近少し耳が遠くなり聞き返すことが増えた。テレビの音量も少し上げた方が聴き易くなった。年を取ると高周波成分が聞きにくくなるというが、私には何故かテレビの設定を高周波数成分を上げると聞きにくくなる気がする。
17-18歳頃から近眼の眼鏡をかけてきた私は、年をとっても老眼鏡が不要なので助かっている。だが、違った意味で「近い目」を体験してる。先日多摩丘陵を歩いて以来、目線が少し下がった。以前は散歩する時いつも富士山に目が行き、多摩丘陵の景色を気にすることはなかった。
遊歩道や多摩川沿いを散歩する時は、多摩丘陵の先の丹沢と奥多摩の稜線の先の富士山を探す。だがこの数日は多摩川沿いの堤防から多摩丘陵の森や建物等に目が向き、それが何でその向こうに何があったか思い出しながら歩くようになった。目線が下がって近くの丘陵に行くようになった。
田舎にある実家に住み山裾を歩く時もそうだった。山歩きした後に平地から見える山の風景が、森や山陰に隠れていた住居と生活を想像し豊かな風景に変化した。「近い目」とはちょっと無理なこじつけだが、明らかに私の目線が変わり単なる散歩に楽しみが加わった。■
私がこの町内に住み始めた頃からの隣近所の人達は殆どが高齢者になった。このオバサンは私より一回り年上の後家さんで耳が遠くなったと思う。道ですれ違って話する時は普通に会話できるのだが、テレビの音は聞き辛いのだろうか。
オバサン程ではないが、家内も私も最近少し耳が遠くなり聞き返すことが増えた。テレビの音量も少し上げた方が聴き易くなった。年を取ると高周波成分が聞きにくくなるというが、私には何故かテレビの設定を高周波数成分を上げると聞きにくくなる気がする。
17-18歳頃から近眼の眼鏡をかけてきた私は、年をとっても老眼鏡が不要なので助かっている。だが、違った意味で「近い目」を体験してる。先日多摩丘陵を歩いて以来、目線が少し下がった。以前は散歩する時いつも富士山に目が行き、多摩丘陵の景色を気にすることはなかった。
遊歩道や多摩川沿いを散歩する時は、多摩丘陵の先の丹沢と奥多摩の稜線の先の富士山を探す。だがこの数日は多摩川沿いの堤防から多摩丘陵の森や建物等に目が向き、それが何でその向こうに何があったか思い出しながら歩くようになった。目線が下がって近くの丘陵に行くようになった。
田舎にある実家に住み山裾を歩く時もそうだった。山歩きした後に平地から見える山の風景が、森や山陰に隠れていた住居と生活を想像し豊かな風景に変化した。「近い目」とはちょっと無理なこじつけだが、明らかに私の目線が変わり単なる散歩に楽しみが加わった。■