かぶれの世界(新)

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小泉の時代

2006-09-24 12:53:59 | 国際・政治

小泉改革の本質

週明けに新政権が生まれる。小泉時代は第二次世界大戦後政治の枠組みであった「55年体制」の転換となる5年間だった。小泉政治の総括は見方によって評価が全く異なるが、最大の貢献は「政策決定プロセス」を改革したことであると私は考える。

従来の族議員・担当省庁・業界の所謂「鉄のトライアングル」が党政調会で法案を検討し既得権益のバランスを取る(言い換えると‘痛みわけ’)政策決定プロセスから、首相直下の経済諮問委員会で基本方針を打ち出す透明な政策決定プロセスに転換した。

55年体制の政策決定プロセス

55年体制とは派閥ボスが密室で既得権益のぶつかりを調整し利権の折り合いをつけ、族議員が集まる党政調会で確認され国会で立法化されるプロセスだ。その見返りで既得権益に係わる官と業界が族議員の選挙の集票マシーンになるフィードバック・プロセスがあって55年体制は完結していた。

政調会で満場一致で決まる政治決定は既存の利権の調整の範囲に留まり、不良債権の解消などスピードを求める改革の妨げになっていた。政治的影響力の無い新たな産業や無党派層にとっては閉塞的な状況だった。我国の政治システムは民意を反映する仕組みになっていないと多くの人達が考えるようになった。

それはクーデターだった

従来の政策決定プロセス変更は今まで決定的な影響を及ぼした既得権益層のボス達の権力を奪うことであり、その壮大な権力闘争のやり取りがお茶の間に流れた。郵政民営化そのものより、政策決定-集票プロセス維持の生死をかけた戦いであることが誰の目にも明らかになった。

郵政解散は首相が仕掛けたクーデターだった。小泉首相にそれだけの気迫があったが、それに気付かない現場の政治家や報道陣がいた事の方が私には驚きだった。衆院解散を決めた夜の首相の演説は鬼気迫る歴史的なもので、ここで勝負がついた。

高支持が続いた理由

バブル崩壊後の失われた10年間既得権益に垂れ流された国富が何の役にも立たず巨額の負債に変ったのを見て、国民は小泉氏に舵取りを委ねる判断を下した。個々の政策の徹底度は不十分だったが首相の取り組みを高く支持した。裏返せば官僚や議員、更に評論家に対する不信であった。

国民にはこのままでは国が立ち行かなくなると言う危機感があった。医療費の高騰・年金問題など個人生活への悪影響があっても国が潰れたら元も子もなくなる、先ずは国を立て直さないことには大変なことになると考えたからだ。

05年体制の行方

この政策決定プロセスを田中直毅氏は「05年体制(2005年体制)」と呼び新たな政治の枠組みを作ったと見た。深い洞察力に基づく極めて適切な評価であった。しかし、昨年田中氏の同名の著作を読んで体制として続くかどうかは次期政権の取り組み次第だろうと私は見た。

05年体制は政策決定プロセス変更に限らず従来の権威に対する挑戦的な要素があり、政治家ならずとも従来延長線上で物事を考える人達にとっても余り居心地の良いものではなかった。彼らは高い支持率を劇場型政治といい小泉氏特有の一時的なものと説明し、いずれ従来の利権政治に振り子が戻るだろうとみている。

変化の兆候

小泉政権下で抵抗勢力と言われた既得権益の保護者達の中で霞ヶ関は殆ど手付かずのまま残っている。経済諮問委員会の主要メンバーは辞任し、官僚がリードする形に変わるだろうと見られている。小泉首相も昨年後半からやや軌道を修正し改革の手綱を緩めた。

郵政民営化で党を追われた議員の復党も議論されている。改革続行を継続するとしても格差解消の名分の下、又もや利権が生じる可能性は大きい。2005年体制が定着するかどうかはまず安倍政権の人事である程度見えてくるだろう。出足を間違えれば改革のモーメンタムを一挙に失う可能性もありえる。■

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私的・民意の測定とメディア(下)

2006-09-21 21:56:49 | 社会・経済

図らずも昨日ニュースステーションは小泉内閣を振り返ってメディアよりも民意をよく把握していると認めるような番組を流した。小泉内閣が政治決定を下す前後に世論調査し民意を見極めていると報じた。私も何度も書き込みしたようにこれは特に新しいことではない。

ミスリードする既存メディア

マスコミの批判が視聴率稼ぎの的外れなものに傾斜し民意と乖離してきたのを認識して、自前の世論調査を積極的に利用し始めたのはクリントン大統領だ。世論の変化を感知しながらホワイトウォーター・ゲートやモニカ・ルインスキーとのスキャンダルを切り抜け、メディアも正気を取り戻し前向きな議論に軌道修正した。

日本では小泉首相が事ある毎に自前の世論調査をしたことは最近良く知られるようになった。815の直前に世論調査で確認し靖国神社参拝を強行したと報じられている。一因として中韓の反対に重点を置いた報道に国内世論が反発した可能性がある。メディアが世論をミスリードし逆に参拝を後押しした側面があるように思える。

新しい皮袋に古い酒を注ぐ

もう一つ身近な例として小泉内閣の評価を考えてみる。政治番組で郵政解散選挙に大勝した小泉首相が小泉派を作る、任期引き延ばし、退陣後院政をしくと予測した評論家達の数は少なくない。国民には理解できない論理だったと思う。これは多分世論と永田町の常識の違い、よく言えば権力を長い間見てきた人達に刷り込まれた常識なのだろう。

これは報道の基調を作る人達の発想が世論より遅れている、しかも貧しい発想をしているのが見え見えになった瞬間だった。こういう報道が続くとメディアは信頼を失う。同様に格差問題についても注意が必要だと考える。格差問題の例としてインタビューで庶民の深刻な声をが流される。

本当に庶民の声か?

しかしこの庶民の声がどういう性格のものか疑わしいと思う時がある。滅茶苦茶な行政で財政破綻寸前にある自治体の長を選んだ住民や、粗末な投資判断でライブドアに投資して被害者の顔をする個人投資家を見ると、お気の毒だけど自分で蒔いた種じゃないかと思わざるを得ない。現在の報道はモラルハザードを積極的に推奨しているように感じる。

かつて福祉サービスを受けるのを良しとしない気概があった。今はそういう声はないのだろうか。あっても意図的に報じないのだろうか。田舎に戻ると農政の失敗、公共事業ばら撒きの問題などを指摘する年寄りの声を聞く。話を聞く度にこの人達にとって格差解消より最後まで誇りを持って生きることが大事だというのが本音と感じる。

先鋭化するネチズン、拡大する影響力

近年既存メディアの報道内容の妥当性について多くの人が疑いを持ち始めた。その理由の一つは既存メディア以外にインターネットによる情報が日頃の生活から政治的行動まで影響力を増しているからである。ところが一方でこの新しいメディアの規律は有史以前の状態にある。しかも日本のネチズン(インターネット参加者)が益々先鋭化する危険な兆候を私は感じる。

インターネットはその同時発信機能と匿名性が極端で従来なら跳ね上がりと見做され相手にされなかった人達を連帯させ一層過激化させる傾向があるようだ。インターネットの個人報道に従来メディアの規律を求めることは難しいが何とかしなければならない。事態は深刻で既存メディア、特に新聞の影響力を侵食し始めた。

既存メディアの最後の役割

やがて日本も米国の後を追って既存メディアが衰退するのは避けられないと考える。テレビの影響力はまだ漸増していると思うが、このあとディジタル・テレビやインターネット・テレビの普及がクリティカル・マスを越えると影響力を失う日が来るのも遠い先のことではない。それは視聴率ではなく、宣伝広告費収入の漸減と言う形で現れる。

メディアが信頼を高める発信を続けネチズンを含めた民意に健全な影響力を保ち、個人報道に規律を持ち込まなければ危険なシナリオを辿る可能性がある。その為には基本に戻って民意の底流を深い洞察力で解読しあるべき姿を世に伝え続け、新しいメディアに規律を持ち込むことである。■

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CIA漏洩、意外な展開(続報)

2006-09-19 09:55:30 | 国際・政治

前回私の先入観について報告した。情報操作まがいや捕虜虐待などの不祥事がブッシュ政権下で起こったから、彼らだったらやりかねないという偏見が私にもあったと。これに関して古森義久氏が「米国マスコミ報道を鵜呑みするな」と的確に指摘している記事を見つけた。

http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz06q3/513243/

恥ずかしながら、全くその通りと認めざるを得ない。言い訳をさせてもらうとCIA漏洩事件についてはNYタイムズ、Wポストだけでなく、CNNBBCTopix.netやブログも時々チェックした。日本の大新聞は信用できないとして、海外メディアの記事をチェックして万全だと思ったら落とし穴に入ってしまった。■

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200安打、米国では意外に低い評価

2006-09-18 00:08:43 | スポーツ

イチローが16日ロヤルズ戦で6年連続シーズン200安打を達成した。1900年以降では2人目の記録だそうだ。しかし米国のスポーツサイトでのトップの扱いは地元シアトルを除くと、ソリアーノが40本塁打40盗塁を達成し40-40クラブメンバーになったという記事だった。

ESPNSIの野球のコーナーで、ワンクリックで記事が読めるほうはまだマシかもしれない。肝心のMLBの公式サイトのトップページからイチローが記録を達成したということは伺えない。シーズン終盤の優勝争いがトップに来るのは理解できるが、40-40の次はなんとフィギンズのサイクルヒット、そんなに大したことか。

昨年ホワイトソックスがスモールボールでワールドシリーズに勝ち、WBCで日本が細かい野球で世界一になって少しは変わったと思ったが、大半の米国人はホームランが好きなのだ。これはベーブルース以来の伝統と言うから簡単には変わらない。6年連続200安打はイチローしか為し得ない大記録だと思うが単打を幾ら打っても彼らには大して興味が無いようだ。

野球は勝負事であると同時にプロのショーなのだから仕方が無い。所属するチームが優勝を争うか、スモールボールの野球が勝ち続ければ状況が変わるかも知れない。もしくはこれがヤンキースのジーターだったら扱いが違っただろう。評価がどうあろうとイチローは100年に一度の記録に挑み続ける偉大な選手であることは間違いない。■

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天婦羅を楽しむ

2006-09-17 12:35:59 | 食・レシピ

三連休の間帰ってきた娘を交えて家族で麻布にある天婦羅屋に行った。そこは家内の幼馴染がやっているお店で機会があれば行くことにしていた。私自身はここ数年高脂血症を気にして積極的に天婦羅料理を食べることはなかったが、十分楽しむことが出来た。

10-15人位座ると満員になるカウンターと4人掛けのボックス席が1つだけの小作りのお店だが、昔風の素朴だけど洒落た内装でお店の狭さが気にならない。メニューは2つのコース料理とお好みのアラカルト天婦羅を注文するシステムだった。

お店の勧めで安価なコースをオーダーし、もし足りなければお好みを追加することにした。お品書きがないので何が出て来るか分らないが、つきだしに秋刀魚の甘煮、海のものが3種(甘エビ、キス、ホタテ)、野菜が4種(アスパラ、青唐辛子、生椎茸、レンコン)、最後に海老天のお茶漬けか丼がお好みで出て来た。

洵の材料の特徴を生かししっかり香りを残しながら旨味がよく出ており全員食事を楽しんだ。衣が主張しないよう薄かったが、家内によれば衣そのものも美味しかった。エビやキスが美味しいのは当たり前だが、普段あまり期待しない食材の美味しさが新鮮だった。

ホタテの天婦羅はどうもと言う先入観があったが、噛んだ時口に広がった旨味に心地よい驚きがあった。アスパラの香りとコリコリした食感は秀逸だった。レンコンにこんなに旨味があるとは思わなかった。生椎茸だけは家内の実家から頂いたものの味が忘れられず私的には1ランク下だったが。

お酒の種類は食事メニューと同様それ程多くなかったが、主役の天婦羅を楽しめるそれなりのクォリティのものがあったと思う。私達は最初ビールで乾杯した後、赤白1種類しか置いてないので失望したが白のシャブリがあったので頂くことにした。白ワインと天ぷらとよくあったと思う。

お店の名前は「天ぷら畑中」、地下鉄麻布十番の1番出口から裏通りに入り2-3分のところにある。営業時間は昼食時と夕食時(9時半閉店)に限られている。旬の天婦羅を純粋に楽しんでもらうというのがお店のコンセプトのようなのでこれもありなんだろう。■

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