小泉改革の本質
週明けに新政権が生まれる。小泉時代は第二次世界大戦後政治の枠組みであった「55年体制」の転換となる5年間だった。小泉政治の総括は見方によって評価が全く異なるが、最大の貢献は「政策決定プロセス」を改革したことであると私は考える。
従来の族議員・担当省庁・業界の所謂「鉄のトライアングル」が党政調会で法案を検討し既得権益のバランスを取る(言い換えると‘痛みわけ’)政策決定プロセスから、首相直下の経済諮問委員会で基本方針を打ち出す透明な政策決定プロセスに転換した。
55年体制の政策決定プロセス
55年体制とは派閥ボスが密室で既得権益のぶつかりを調整し利権の折り合いをつけ、族議員が集まる党政調会で確認され国会で立法化されるプロセスだ。その見返りで既得権益に係わる官と業界が族議員の選挙の集票マシーンになるフィードバック・プロセスがあって55年体制は完結していた。
政調会で満場一致で決まる政治決定は既存の利権の調整の範囲に留まり、不良債権の解消などスピードを求める改革の妨げになっていた。政治的影響力の無い新たな産業や無党派層にとっては閉塞的な状況だった。我国の政治システムは民意を反映する仕組みになっていないと多くの人達が考えるようになった。
それはクーデターだった
従来の政策決定プロセス変更は今まで決定的な影響を及ぼした既得権益層のボス達の権力を奪うことであり、その壮大な権力闘争のやり取りがお茶の間に流れた。郵政民営化そのものより、政策決定-集票プロセス維持の生死をかけた戦いであることが誰の目にも明らかになった。
郵政解散は首相が仕掛けたクーデターだった。小泉首相にそれだけの気迫があったが、それに気付かない現場の政治家や報道陣がいた事の方が私には驚きだった。衆院解散を決めた夜の首相の演説は鬼気迫る歴史的なもので、ここで勝負がついた。
高支持が続いた理由
バブル崩壊後の失われた10年間既得権益に垂れ流された国富が何の役にも立たず巨額の負債に変ったのを見て、国民は小泉氏に舵取りを委ねる判断を下した。個々の政策の徹底度は不十分だったが首相の取り組みを高く支持した。裏返せば官僚や議員、更に評論家に対する不信であった。
国民にはこのままでは国が立ち行かなくなると言う危機感があった。医療費の高騰・年金問題など個人生活への悪影響があっても国が潰れたら元も子もなくなる、先ずは国を立て直さないことには大変なことになると考えたからだ。
05年体制の行方
この政策決定プロセスを田中直毅氏は「05年体制(2005年体制)」と呼び新たな政治の枠組みを作ったと見た。深い洞察力に基づく極めて適切な評価であった。しかし、昨年田中氏の同名の著作を読んで体制として続くかどうかは次期政権の取り組み次第だろうと私は見た。
05年体制は政策決定プロセス変更に限らず従来の権威に対する挑戦的な要素があり、政治家ならずとも従来延長線上で物事を考える人達にとっても余り居心地の良いものではなかった。彼らは高い支持率を劇場型政治といい小泉氏特有の一時的なものと説明し、いずれ従来の利権政治に振り子が戻るだろうとみている。
変化の兆候
小泉政権下で抵抗勢力と言われた既得権益の保護者達の中で霞ヶ関は殆ど手付かずのまま残っている。経済諮問委員会の主要メンバーは辞任し、官僚がリードする形に変わるだろうと見られている。小泉首相も昨年後半からやや軌道を修正し改革の手綱を緩めた。
郵政民営化で党を追われた議員の復党も議論されている。改革続行を継続するとしても格差解消の名分の下、又もや利権が生じる可能性は大きい。2005年体制が定着するかどうかはまず安倍政権の人事である程度見えてくるだろう。出足を間違えれば改革のモーメンタムを一挙に失う可能性もありえる。■