図らずも昨日ニュースステーションは小泉内閣を振り返ってメディアよりも民意をよく把握していると認めるような番組を流した。小泉内閣が政治決定を下す前後に世論調査し民意を見極めていると報じた。私も何度も書き込みしたようにこれは特に新しいことではない。
ミスリードする既存メディア
マスコミの批判が視聴率稼ぎの的外れなものに傾斜し民意と乖離してきたのを認識して、自前の世論調査を積極的に利用し始めたのはクリントン大統領だ。世論の変化を感知しながらホワイトウォーター・ゲートやモニカ・ルインスキーとのスキャンダルを切り抜け、メディアも正気を取り戻し前向きな議論に軌道修正した。
日本では小泉首相が事ある毎に自前の世論調査をしたことは最近良く知られるようになった。8.15の直前に世論調査で確認し靖国神社参拝を強行したと報じられている。一因として中韓の反対に重点を置いた報道に国内世論が反発した可能性がある。メディアが世論をミスリードし逆に参拝を後押しした側面があるように思える。
新しい皮袋に古い酒を注ぐ
もう一つ身近な例として小泉内閣の評価を考えてみる。政治番組で郵政解散選挙に大勝した小泉首相が小泉派を作る、任期引き延ばし、退陣後院政をしくと予測した評論家達の数は少なくない。国民には理解できない論理だったと思う。これは多分世論と永田町の常識の違い、よく言えば権力を長い間見てきた人達に刷り込まれた常識なのだろう。
これは報道の基調を作る人達の発想が世論より遅れている、しかも貧しい発想をしているのが見え見えになった瞬間だった。こういう報道が続くとメディアは信頼を失う。同様に格差問題についても注意が必要だと考える。格差問題の例としてインタビューで庶民の深刻な声をが流される。
本当に庶民の声か?
しかしこの庶民の声がどういう性格のものか疑わしいと思う時がある。滅茶苦茶な行政で財政破綻寸前にある自治体の長を選んだ住民や、粗末な投資判断でライブドアに投資して被害者の顔をする個人投資家を見ると、お気の毒だけど自分で蒔いた種じゃないかと思わざるを得ない。現在の報道はモラルハザードを積極的に推奨しているように感じる。
かつて福祉サービスを受けるのを良しとしない気概があった。今はそういう声はないのだろうか。あっても意図的に報じないのだろうか。田舎に戻ると農政の失敗、公共事業ばら撒きの問題などを指摘する年寄りの声を聞く。話を聞く度にこの人達にとって格差解消より最後まで誇りを持って生きることが大事だというのが本音と感じる。
先鋭化するネチズン、拡大する影響力
近年既存メディアの報道内容の妥当性について多くの人が疑いを持ち始めた。その理由の一つは既存メディア以外にインターネットによる情報が日頃の生活から政治的行動まで影響力を増しているからである。ところが一方でこの新しいメディアの規律は有史以前の状態にある。しかも日本のネチズン(インターネット参加者)が益々先鋭化する危険な兆候を私は感じる。
インターネットはその同時発信機能と匿名性が極端で従来なら跳ね上がりと見做され相手にされなかった人達を連帯させ一層過激化させる傾向があるようだ。インターネットの個人報道に従来メディアの規律を求めることは難しいが何とかしなければならない。事態は深刻で既存メディア、特に新聞の影響力を侵食し始めた。
既存メディアの最後の役割
やがて日本も米国の後を追って既存メディアが衰退するのは避けられないと考える。テレビの影響力はまだ漸増していると思うが、このあとディジタル・テレビやインターネット・テレビの普及がクリティカル・マスを越えると影響力を失う日が来るのも遠い先のことではない。それは視聴率ではなく、宣伝広告費収入の漸減と言う形で現れる。
メディアが信頼を高める発信を続けネチズンを含めた民意に健全な影響力を保ち、個人報道に規律を持ち込まなければ危険なシナリオを辿る可能性がある。その為には基本に戻って民意の底流を深い洞察力で解読しあるべき姿を世に伝え続け、新しいメディアに規律を持ち込むことである。■