核安保保障サミットに出席した鳩山首相が、オバマ大統領に殆どまともに相手にされなかったことにつき、ワシントン・ポスト紙が「最大の敗者」と酷評したと言う記事が、日本の新聞・テレビで15日一斉に取り上げられた。普段米国を非難する人達がこういう時は揃って米国メディアの記事を押し頂いて引用するのがいかにも皮肉っぽい。逆は先ず考えられない。
普段アメリカかぶれと自称する私だが、この記事を見てカチンときた。何で一国を代表するリーダーが、しかも重要な同盟国の首相がコケにされるようなこと言われなきゃならないんだと思った。柄にも無く急に単純な愛国者の心境になった自分に気が付いた。
もしかしたら鳩山氏は米国との関係を本気で見直すきっかけをわざと仕掛けて作っているのかもしれない、そうでもなければこんな馬鹿な事をする首相はいないだろうと深読みした。野党時代の彼の持論を密かに実現しようとしているのかもしれない。危険な賭けだ。
だがちょっと考えると、この首相はそんなタマ(失礼!)ではない。単純にそういう軽い扱いを受けてもしようの無いことをやってきただけだ。そんな日本政府に対して米国が他に対応の仕方があったかといえば、無かったのだろうという気がする。日本国内の議論は迷走し、交渉の材料さえ揃っていないのだから。
このところ1年で辞める短命首相が続いているが、参院選を前に鳩山氏はもっと短い寿命になる可能性が現実味を帯びてきた。どうも首相を選ぶプロセスが機能しなくなったように感じる。もう少し時間をかけて首相に相応しい資質か過去の発言や政治献金の記録を問いただしておけば、彼が首相になるのは防げた気がする。
彼が首相になったのは、端的に言えば資質のありなしよりも小沢氏と手を組んだからだ。自民党政権時代も安倍・福田・麻生と当時の世論調査で人気があったから首相に選んだ。現政権のような政治とカネの大きなスキャンダルは無かったが、首相としての資質に欠けていることはものの数ヶ月で分かった。
我国のリーダーを選ぶプロセスが壊れてしまった気がする。これだけ資質に欠けた首相が何代も続く一方で、世界的経済危機の中で失業者が溢れ巨額な財政赤字の中で日米同盟が揺れる、正に「国難」だと私は思う。しかも、誰のせいでもなく国民が選んだ政府の自作自演の「国難」だ。だがリーダーを選ぶプロセスを見直せばもう少しマシな結果が期待出来たかもしれない。
私は小選挙区制を支持するが、それに合わせて首相を選ぶプロセスを見直す必要が出てきたと今回つくづく思った。一時期話題になった首相公選制が良いのだろうか。具体的にどうすべきか余りアイデアが無いが、少なくとももっと時間をかけて候補者を煮たり焼いたりして資質を試す時間が必要だと感じる。■