二日前に妹夫婦が大阪から帰省してきた。昨日夫君の提案で近くにある小高い山にある市営公園に行った。つつじが咲き乱れ暖かい春の日差しの中、あちこちにお弁当を広げる市民がいた。予想以上の人出だった。寅さんシリーズで印象に残っている、肱川にかかる橋と両側の町並みを見渡せるベンチに座り、3人で寿司をつまみビールを飲んだ。
小一時間後、肱川沿いの小さな喫茶店に入った。外観はいかにも野暮な作りのお店だったが、ドアを開け狭い階段を上っていくと壁に若かりしオードリ・ヘップバーンのモノクロの小さな写真が続き、更に50-60年代の映画スターやジャズ・メンの洒落た油絵がある喫茶店があった。隣は持ち主が同じオーナーの小ホールがあった。洒落てる。
このところの雨で水量が多い肱川と対岸が窓際から見え、暖かい日差しと水面の反射で窓を開けてあった。コーヒーの薀蓄(うんちく)や内外の旅行の思い出など次から次へと話題が続き、とても心地よい空間と時間が過ぎて行った。還暦を過ぎると、語るべき薀蓄の引き出しがあり過ぎて話出すと止まらない。
そのうちスィートの話題になり、私の長男がこの地方の名物の「志ぐれ」と饅頭「残月」は大洲市内の店で売っているものより、長浜町で作ったものの方が美味しいというがどうだろうかと意見を聞いてみた。義弟は食べ物には中々うるさいので明快な説明を期待したが、この領域は子供の時から当たり前の食べ物で余りこれといった意見がなさそうだった。
「しぐれ」はこの地方で昔から伝わる保存食だったもので、小豆を煮て餅米粉を混ぜてもう一度蒸した、甘さ控えめのモチモチした食感の菓子だ。県内の多くの店でお土産として販売する為、長期保存可能な防腐剤を混ぜピニールの袋に真空パックしている。一方、長浜町のあるお店では午前中に売り切れる数量限定商品で、防腐剤を使わずビニール袋にも入っていないから美味しいのだという説で余り議論も無く落ち着いた。
だが、残月については議論するには材料が不足していた。お店の気の良い感じの中年女性が突然口を開き、長浜と大洲のお店は兄弟が経営していると教えてくれた。残月という同じ名前を使ってはいるが、商品も包装紙も違う。息子が好きだという長浜町の残月は、あんこが白っぽく皮とあんこの間に隙間があって、その微妙な食感が良いのではないかと話しながら思った。
義弟がいうには長浜町のものはあんこと皮の熱膨張率の差が大きいために隙間が出来るのだろうと解説、もっともらしい。そうすると、結果として皮が比較的硬くなりあんことの微妙な組み合わせが息子にとっては良かったのかもしれない。私には大差ないように感じるが。たわいない雑談で初老の平和な午後が過ぎて行った。■