かぶれの世界(新)

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リスク不寛容社会

2011-02-07 21:26:42 | 社会・経済

名古屋のトリプル選挙は河村・大村連合の圧勝で終った。既成政党に明確にノーを突きつけたメカニズムを是非分析してみたい。データ不足で十分な評価が出来そうもないので、日を改めて私なりの考察を紹介したい。だが、直感的には以下に紹介する最近の日本社会の傾向に関係があるように感じている。それは近年強まったように感じるリスク回避と安全志向の背景である。

規制だらけのホコ天復活

私の住む東京郊外の府中市のメインストリートで歩行者天国が先月秘かに再開された。先月23日に再開された秋葉原の歩行者天国と連動した動きかもしれないが、市内では特別に人出が増えた感じは受けなかった。開放された車道を歩く歩行者はまばらだった。

一方、秋葉原にはかつての賑わいを期待して多くの人が出掛けたようだ。しかし、彼らにとって秋葉原が期待した通りではなかったかもしれない。報道によれば路上のビラ配りから名物だったパフォーマンスまで規制されたようだ。立ち止まるのもダメと警官に注意を受けていた。

背景には警察・行政から地元商店や住民まで歩行者天国に対する考えに違いがあり、結果的に非常に厳しい規制の下で試験的に再開されることになったと、後日NHKのクローズアップ現代が伝えていた。番組を見て関係者の懸念は理解できるが、この規制はやりすぎと思った。

よく言われるように日本では「水と安全はタダ」という世界でも稀な国であり、それが秋葉原の連続殺傷事件で深く傷つきこのような規制だらけの再開になった側面があると感じた。秋葉原にかかわらず、前々から日本の社会が全体としてリスクに不寛容になっているように私は感じていた。

錦の御旗で筋違いの規制

事件が起こるとメディアは個々人がもっと注意して自らを守ることより、政府や自治体の責任を追及する傾向がある。結果的に関係当局は非難を回避するために、取り締まりの強化が過剰になり勝ちである。秋葉原で警備中の前線の警官にもそのような雰囲気が感じられた。

だが、日本の安全神話をこのような形で守るのが良いか疑問がある。得られるものより、失われるものの方が大きい気がする。これに関して上記番組に出演した作家の森達也氏は非常に的確な指摘をした。その後ネットで発言を文章で確認したが、真に的を射た鋭い指摘であった。

番組を見て要約すると「連続傷害事件と歩行者天国は直接的な因果関係ない、安全を錦の御旗にして従来から苦々しく思っていた一部のパフォーマンスを禁止した、今日本では安全等のキーワードを使って白黒判断できないグレーゾーンを消してしまっている、その結果本当の危機に鈍感になる」というものだった。最後にメディアの責任を指摘した。理屈に合った指摘と私も思う。

グレーゾーンに不寛容な社会

電気街からオタク文化の聖地へ転換し若者を秋葉原に惹き付けたのは、このグレーゾーンから生まれたサブカルチャーだった。私にはグレーゾーンを認める寛容さがない環境は、新しい文化を培養し育む活力が無くなってしまう様に感じる。安全に名を借りた過剰な規制は自らの首を絞めることになる恐れがある。

問題は、それが秋葉原だけでなく形を変えて全国的なトレンドになっていることを私は憂慮する。その例を二三紹介する。

グレーゾーンといえば消費者ローンを思い出す。グレーゾーン金利の禁止も同じ文脈の中で説明できると私は思う。このケースでは「暴力的な借金取立て」と「高い金利」をごちゃ混ぜにして、経済的合理性を無視した規制は謂わば「グレーゾーンにあった需要」を闇の世界に追いやった。又、安全の為の過剰規制は、耐震建築の法改正の時も一時混乱を招いたのは記憶に新しい。

安全志向とはちょっと違うが、私には延長線上にあると感じる傾向がある。それは森氏の指摘と同種の懸念で4年前に日本の社会が不寛容になってきていると指摘した(不寛容社会の到来http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20070308)。

いつの頃からか、殺人事件の遺族がインタビューを受けて、判で押したように犯人の極刑を望む発言が全国に流れるようになった。遺族の気持ちは当然だが、「殺されたら殺せ」というロジックがそのままテレビに流され、まだ判断力の無い子供が制限なく見る環境が果たして良いことか。

宿題: リスク不寛容と老齢化の関連

これらの動きを総合すると日本中がグレーゾーンに不寛容になっていくように感じる。個人に降りかかるリスクに対して自らを守ることの重要さ、自己判断と自己責任の重要さをもっと強調し、それを前提に緩やかな規制にしなければ益々社会が沈滞しそうだ。

ここで例によって大胆な推測をすると、日本社会が老齢化するに従ってこのトレンドが進行しているように感じる。個人的には年をとるごとにリスクを回避するようになるのは極自然なことだ。老齢化社会になると国もリスク回避志向になるか、多分そうだろう。だが、議論するにはデータが手元にない。

気になるのが、我国の民意と政治決定はそんな風に変化していることだ。それが若者の活力を削ぎ停滞する方向に向っていると感じる。事実なら由々しきことだ。冒頭で述べたように、その視点から愛知県のトリプル選挙を見たらどういう絵が描けるだろうか。別途議論したいテーマだ。■

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高齢化の時計

2011-02-05 15:54:04 | 日記・エッセイ・コラム

北側に面している台所や風呂場、洗面所が3日前から急に明るくなった。まるで違う場所に引っ越したみたいに感じた。外に出て見ると隣の家の庭木の枝葉がすっかり刈り取られてツンツルテンになっていた。大胆な枝の処理の仕方を見ると、プロの庭師の仕事のように思われる。田舎で教わりながら庭の手入れをした経験で何となくわかる。

隣の家の夫婦は私の両親と同じ年周りか少し上で、引退して数年前に田舎に戻られた。今は私と同年輩で独身の息子さんの一人暮らしだ。庭の手入れを全然やらないものだから、庭木が伸び放題で我家の屋根や台所と風呂の窓に枝が到達する。その枝を伝わって蟻が我家に入り込み、枯葉が樋に溜まるようになったので、彼に断って塀を越えてくる枝を一部落としたがある。

枝葉は徐々に伸びるので、北側の窓がこんなに暗くなっていることには気がつかなかった。それがある日急に明るくなった。結構なことだけど何故今頃?理由はすぐにわかった。田舎から奥さんが戻って庭の酷い状態を見て、昔出入りしていた庭師に手入れを頼んだのだろう。これほど徹底して枝葉を落としたのは、何年か分をまとめて手入れしたのかもしれない。

懐かしくなって奥さんに挨拶をすると3年ぶりだそうだ。ご主人は最後に施設に入って亡くなったそうだ。聞かれて母も施設に入っていると答えると、しょうがないよね、と一言。ご主人を施設に入れたのを再確認しているように私には聞こえた。奥さんは私の母より幾つか年上のはずだが若々しく元気そうで、私の記憶している顔より寧ろ若返ったように見えた。

隣の家は全く生活感が無かった。そこだけ時計が止まっているかのようだった。今は洗濯物が干され庭の隅まで見えるようになり、急に人の気配がするようになった。時計が進み始めた。奥さんは2週間いて田舎に戻る予定だそうだ。■

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変わることの難しさ-NEC・レノボPC連合

2011-02-02 12:05:44 | 社会・経済

市場インパクトがなかった提携劇

NECと中国レノボが共同出資して、パソコン事業の合弁会社を6月に発足させると先月末に報じられた。日中パソコンのトップシェア・メーカーの連合が誕生する。だが、そんな華やかさを全く感じさせないほろ苦い提携劇だった。実際、市場は何事も無かったように反応しなかった。

一般の消費者にとってNECといえばパソコンをイメージする看板事業だった。長らくITビジネスに関ってきた私にもパソコンは特別なものだが、2009年にNECが海外市場から撤退を決断した時に残された国内事業の運命は決まったも同然だった。遂にその日が来たかという感慨がある。

Too Slow & Too Little to Prevail

パソコン事業の切離しは専門家の間では何年も前から指摘されてきた経営課題だった。かつて、NECを代表する花形事業で稼ぎ頭だった半導体・パソコン・携帯電話の不振が足を引っ張り、ヒト・モノ・カネを収益の上がる主力事業に集中できず、経営改善が進まないと指摘されていた。

同社と同じビジネス領域にある他の電機・情報通信会社は、世界同時恐慌から回復し10‐12月期の好業績を報じられている。エコポイントや新興国ビジネスが貢献したという。一方、NECだけが取り残され10年4‐12月の連結決算が535億円の赤字になると報じられ、株価はどん底に低迷している。

NECとしては異例の若さで遠藤社長が任命されたのは、この苦境から抜け出すため思い切った経営改革断行を期待されてのことだと推測する。新聞報道によるとレノボとの提携は社内の反対が強かったという。粘り強く説得して一時は頓挫しかけた取引をやっと成立させた。だが、それでも完全売却とはいかずブランドと雇用維持した合弁会社が落としどころになった。

予見されていた負のスパイラル

不振の3事業には共通するパターンがある。何れも過去に成功体験のある事業だ。国内市場でシェアトップを取り、一度は利益の源泉となった花形事業だった。先ず国内市場でトップをとり海外進出する典型的な日本企業の戦略だった。最初に海外に出た半導体事業は一度は世界トップになった。次に世界進出したパソコンは挫折、最後の携帯電話事業は海外進出も出来なかった。

背景にあるのは商品のコモディティ化と市場のグローバル化が進行する中で価格競争について行けなくなった。加えて他事業の経営環境も悪化して体力が続かなくなり海外撤退を強いられた。だが海外で戦えなければ、国内でも同じ理由で戦えなくなるのは時間の問題だった。予想通り収縮する国内市場でジリ貧になった。この時にすべきだった経営判断が先送りされた。

この負のスパイラルはかなり早い時点で社内外で認識されていたと思われる。大前研一氏が2年前に再建策として半導体子会社の株式売却、携帯電話事業のモトローラと統合、パソコン事業のエイサー売却で3事業を整理、ITとネットワーク・ソリューションに集中せよと提案している。ほぼ今日のNECの有様を予見したものだった。

成功体験が変化を遅らせた

お抱えでない外部コンサルタントがこの程度の認識を持っていたということは、NECにはもっと早期にかつ正確に状況を把握し経営改革プランを考えた人達がいたはずだ。私の知る限り同社は優秀な経営企画部スタッフを多数抱えていた。遠藤社長もその一人だったと報じられている。

だが、成功体験があった故に思い切った外科手術に躊躇する意見が有力だったようだ。今回もその影響を受けた意思決定、まだ不十分と懸念する声がある。冒頭に書いたように今回の提携劇は個人的には真に感慨深い。まだ現役の知人も関っていると思うと胸が痛む。筆も進まない。

だが、投資家の眼で冷静に見るとこの経営判断はToo Late & Too Little to Prevail、今となっては中途半端で手遅れの感がある。今回に限らず体質的な弱みと感じる。海外から撤退した時予見された不可避の道を辿るだろう。それも織り込み済みの巧妙な決定かもしれない。ともあれ決定は決定、通信とITサービスの主力事業に集中し全力をあげて業績回復に取り組んで欲しい。■

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