かぶれの世界(新)

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孤独な宰相に再びエール

2011-04-14 11:27:55 | 国際・政治

菅首相退陣の声が益々強まっている。予想はしたが、そうなって欲しいと思って予想した訳ではない。11日の首相会見の質疑で産経新聞の記者が面と向かって「リーダーシップが無い」とか、「何故地位にしがみつくのか」と迫った。私はラジオでこれを聞いていてハッとした。幾らなんでも一国の首相に対して礼を失する言い様だ。

その後NHKのニュース解説で、首相の「震災後1ヶ月たった、これからは復興に向かって進もう」というメッセージは具体的内容に欠け、リーダーシップの無い首相は早々に退陣すべきであると説いた。NHKがここまでいうかと再び驚いた。この傾向は産経とNHKだけではなかった。翌日の新聞はどれも同様に、復興を実現していくリーダーシップに疑いを示す内容だった。

私が見た全てのメディアが菅降ろしを始めたように感じる。これは安倍・福田・麻生・鳩山政権の末期に見られた報道姿勢とよく似ているように感じる。だが後先考えもせず退陣論を報じる懲りないメディアは無責任な記憶喪失症で、私は怒りすら感じる。今首相を辞めさせて国をめちゃくちゃにするのか、という感じだ。そして無理やり辞めさせると、今度は「無責任」と決めつける。どっちが?君たちは何度もそれを繰り返してきた健忘症の人達だ。

もし首相を替えるとすれば野党第一党の自民党だ。しかし、今回の原発事故の背景には長年の原子力政策を担った自民党政権が大きな責任を負わなければならない。だが、自民党幹部から何らメッセージは聞えてこない。又、先の統一地方選で与党の議席減を言い募り、自民党も議席を減らした反省の弁は聞えてこない。国民の大多数が求める大連立には言を左右して態度を明らかにしない。今、彼らが国民の信に応える動きをしているようにはとても思えない。

一方、与党内でも小沢氏がグループ内の会議で「菅首相自身のリーダーシップの見えないままの無責任な内閣の対応は、今後さらなる災禍を招きかねない」と批判し、首相退陣を求めたという。この人はどんな時でも政局でしか発想できないという印象だ。今回の米軍の歴史的な支援を見ても、鳩山氏が首相を続けていたら米軍の支援がこれほどになったか考えただけでゾッとする。この事態になっても復興財源の為のマニフェスト見直しに反対する。小沢・鳩山体制の再現だけは勘弁して欲しい。

私は別に菅首相の支持者ではないし彼が強いリーダーシップを発揮しているとも思わないが、現在の首相批判とそれに続く退陣が何か良いことを生むとはとても思えない。小泉首相以降リーダーシップを発揮した首相などいない、この国では幸か不幸か例外なのだ。稀有な例外を求めるのを止めて、皆が復興に向かって知恵を出し合っていくしかないと私は思う。

という事は、どうやったら前向きで建設的な取り組みが出来るかそれぞれの立場で仕事をするかだ。後先考えずケチだけつけても何も貢献できない。ましてや上記の記者質問などは噴飯もので、ああいう物言いが全国ニュースに流れてよいのか記者の資質を問うべきだ。国民が選んだ一国のリーダーに対する敬意が無い国が復興し又繁栄を取り戻せると思えるか。もしかしたらその程度の国かもしれない・・・そうではないと信じたい。■

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介護録11春(2)

2011-04-12 23:38:10 | 健康・病気

今日の母は昔に戻ったみたいだった。1週間ぶりに石手川の堤防沿いに車を走らせると、河川敷のサクラがまだ満開だった。施設の2階に向かうと、いつもはベッドに横になっている母が食堂兼用の広場にいるのに気付いた。手前の詰め所に馴染みの若い介護士が居たので挨拶した。

2週間前に訪問した時、母が風船バレーボールを楽しんでいるところを見学した。彼女が一緒の写真を撮ってメールで送ってくれたのを思い出した。礼を言うともっと良いのがあると言い、指先の方向に職員の子供と母が一緒の写真が壁に貼ってあった。自然な感じで良い写真だった。

今日は母を風呂に入れたばかりだという。いつもよりすっきりした顔で、私の顔を見たときに見せるいつもの拒否感が無かった。バセドウ病の治療が上手くいって血糖値が安定している事は母も認識していた。その医者の名前を聞くと返事が無かったが、少なくとも自分がどうなっているか理解していた。良いサインだ。

続いてお墓掃除をしたことを報告し、境界の生垣をどうすれば良いかと聞いた。即決ではみ出した分は遠慮なく切れば良いと明快な返事が返ってきた。孫娘が昇進したようだと報告すると、珍しく表情に出して喜こび目が少し潤んでいるように感じた。曾孫が大きくなった、見たいか、と聞くと大きくうなずいた。予定は無いのだが、夏には顔見せに来るからねと思わず言ってしまった。

再来週は家内が義母に見舞いに田舎に来る、XX病院で治療中の義母の様子を報告した。母は誰かが病気だとか難儀をしているとかの話は聞きたくないようだ。だが、声を荒げて拒否するのではなく平静に「そういう話はもういい」と言った。「わかった」と言って私は話題を変えた。いつもなら母は爆発して、そこで会話は終わり追い返されたはずだ。

母を施設に入れて以来こんなに普通に話せたのは久しぶりだ。その直前にケアマネージャから3ヶ月ごとに見直すサービス計画書(ケアプラン)の説明を聞き、少しずつ母が施設の環境に慣れ落ち着いてきたと報告を受けていた。私は半信半疑だったが、少なくとも今日はそう感じた。

施設の報告書には体温・脈・血圧・血糖値などの健康指標は安定しており、「全身状態安定」と書かれていた。レクレーションに積極的に参加、最初は拒否した風呂にも自らの意思で入り、新しい入居者を思いやる場面もあったと聞いた。

食欲を我慢できないのは直っていないが、対策をしたので介護上それほど問題ではなくなったようだ。以前、食堂内の花がベランダに出されているのは、母が花を食べたからだと聞いた。話を聞いて迷惑を掛けますと言った後、私は笑ってしまった。いずれにしろ対策済みだ。

唯一の問題は失禁が酷くなってきたことだ。ケアプランでは母がナースコールを使うようになったので、それを利用して辛抱強く排泄補助をしていく積りだという。余り期待はして無いが、施設は色々工夫してくれていると理解できた。もし下着や普段着が余分に必要になったら、費用など了解を取る必要は無いので施設で立て替えて買って欲しい旨ケアマネージャに念押しした。■

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田舎暮し雑感11春(2)

2011-04-11 23:29:41 | 日記・エッセイ・コラム

大震災からの1ヶ月間、私は普通に生活してきた積りだが、心のある部分が縮んでいた気がする。いつもは田舎に来ると数日内にお墓掃除をしたものだが、今回はなぜかそういう気持ちにならなかった。お墓掃除のきっかけは1ヶ月経ったからか、もしくは神様のせいか。

昨日の早朝、実家のある集落の守り神の神社掃除に参加したのがきっかけになったのかもしれない。掃除の後お神酒を頂いて世間話をして終った。その日の午後、(多分、勢いで)裏山にある古いお墓(明治初期以前の先祖の)掃除をした。今日は朝一でお寺に出掛け曽祖父から父までが眠るお墓を掃除し、線香を上げてきた。

その前の日曜日に恒例のお花見があった。メンバーは苗代を共同で運営していた昔からの集落のメンバー5家族で、その頃の運営費がまだ残っていてそれを毎年取り崩しながら仕出し弁当を調達し、お酒を飲みながら世間話をした。神社掃除のメンバーと微妙に入り繰りがある。

例年ならサクラが散っている頃だが、今年はまだ花が残っている。年番の家に不幸があったので、私が申し入れて数年前に建てた東屋でやることにした。聞くと母は何故か東屋を提供するのを嫌がったらしい。母が聴いていた美空ひばりと近江俊郎のCDをかけると皆喜んだ。上手くいった。私以外は、全員そんな年代の人達だ。

仕出し弁当はボリュームがあって私には多過ぎ、昼食と夕食の2食分になるので料理の手間が省けた。普通はご飯を5、6合纏めて炊いて冷凍しおかずだけ毎回作る。手当たり次第野菜を入れ、豚肉や豆腐を加えて煮る。味付けはカレー味か味噌などで大きな丼に3杯程度作る。3食目はうどんを入れるかオジヤにする。味はさておき効率が良くカロリーが取れ、ヘルシーだと思う。

スーパーでは数量制限があるものの水が買えるようになったというが、こちらのスーパーの棚にはまだ水がない。先日、ラブホテルに備え付けのペットボトルの水もなくなっていたと聞いた。笑ってしまう。困ったのは、単一電池が手に入らないことだ。プロパンガス・レンジの安全制御に使われており、電池切れになってガスが切れてしまう。料理作りに苦労している。■

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大震災と原発事故の常識を問う

2011-04-09 22:40:41 | ニュース

東日本大震災が起こってほぼ1ヶ月経過した。最初は映像で見る津波の凄まじい破壊力に圧倒され、被災者の悲惨な状況とそれに立ち向かう姿に動かされ、世界の熱い支援の声に復興への期待の光が見えた。しかし、福島原発事故が深刻で周辺地域への影響が広がり、短期の収束が視野から消えた頃から政府や東電を批判する不協和音が大きくなった。

だが、私には時に報道が必ずしも実態と一致しないこともあるように感じる。1ヶ月たった今、これまで繰り返し報じられ「ある意味で共通の認識(もしくは繰り返される疑い)」について考察してみたい。

初動の遅れは避けられたか

先ず、地震発生直後の24時間に福島第一原発事故で何が起こったかだ。日本経済新聞(4/8)に危機管理を詳しく振り返った記事が掲載された。今日まで起こっている殆どの現象がこの24時間で決まった、その後の対応の巧拙は結果を大きく左右するものではない、と私は思う。

普段から批判的な日経の記事を読んでも、これは大事になると言う菅首相の直感は正しかったようで、パフォーマンスで初動を遅らせたという批判は当たらなかった。東電側に放射能の飛散を避けたいという目先の考えが行動を遅らせたのは理解できる。

だからといって、初期の対応がベストの場合でも燃料棒の溶融が避けられたか今後の検証を待ちたい。実際は、このとき発生した放射能の始末が今後も延々と続くことになる。いずれにしても菅首相の原発訪問で初動が遅れたと言う非難は的外れ、むしろ適切だったと私は思う。大括りでは事態の展開に政府・東電が圧倒されたと言う見出しは正しい。(私は報道も加えたい。)

避難区域指定は適切だったか

この後事態は急転して行き6時間後の半径3km圏、続いて10km圏、更に30km圏の避難が指示された。この間に1号機及び3号機の水素爆発が発生し国民に不安が広がっていった。こんな時米国政府は避難地域指定を50マイル(80km)にし、この差を巡り議論が起こった。

私はこの違いを初めて聞いたときありえることだと思った。今まで海外で暴動やテロなどが起こった時日本人の逃げ足は速いほうだし、外務省は万一のことを考えて渡航禁止を出す例を何度か見てきた。米国もその法則に従ったと言うことだ。だが、国内では逃げられない。ぎりぎりの判断が求められた。

米当局が判断できる情報が十分得られなかったので、最悪ケースを考慮して自国民に指示を出した(米原子力規制委員会の緊急対応策専門家が議会証言WSJ4/8)ことを非難できない。一部の記者はこれを理由に日本政府が不都合な情報を隠していると痛烈に批判した記事は一方的で、私には恣意的どころか悪意が感じられた。

日本政府は情報を隠しているか

混乱はしていた(特に当初は)が、隠してはいないというのが、私の印象だ。これ程の深刻な事故にもかかわらず、国民に放射能のパニックを起こさせずこの程度に収めているのは、むしろよくやっていると感じる。この点では、民放が抑制的な報道に努め協力したと評価する。翼賛的と非難する向きもあるが、私は一体となって国難に立ち向かう姿勢は評価したい。

その一方で、海外各国で原子力アレルギーが大きく、中には事実に反する情報で国民の不安を煽っているのは残念だ。日本政府も国内だけで精一杯だったのは事実だ。だからと言って嘘は言わないで欲しい。その後米国が50マイル避難区域発表後に非常に抑制的になったのは、日米及び海外諸国の不安を掻き立てないような配慮が上記の証言からも伺える。これが責任ある者の態度だ

日本は信用されていないか

今日の日本経済新聞は原発事故がなかなか収束しないので、日本を見る目が「称賛」から「不信・違和感」へ変わったと報じた。私は、これを書いた記者もしくは新聞社がイライラしてきて海外を引用して自己主張をする、所謂「恣意的な記事」であると感じた。私が見る限り事態を憂慮しても不信はないと感じる。

というのは、その根拠にされたのが数日前に報じられた「事前通告無しの低濃度の汚染水の放水」を韓国とロシアの外交当局が非難したということで、何も新たな事実が無かった。気持ちは分かるがこういうやり方は報道の見識を問わる。むしろ、日本紙の記事が引用されて海外に事実を正確に伝える努力をして欲しい。今回も少しも引用されていない(?)のは恥かしく思わないのか。

本当に海外から支援を受けているか

今回米国を初め世界各国から支援を受け感謝している。バングラディッシュやアフリカの最貧国と言われる国からも義援金が届いていると言う。今日もまた世界各国で日本を支援する行事が行われている。それが草の根レベルで行われていると言うところが嬉しい。

だが、実は被害額に比べて義捐金額はそれほど多くはない。雑誌Time(4/11号)によると、世界的な災害の寄付の額は次のとおり。

総被害額       義援金
東日本大震災     $235B       $704M (~3/29)
神戸大震災       $100B        $14M
カトリーナ         $81B       $3.4B
チリ大地震        $30B       $74M
インドネシア大地震   $15B        $6.8B
ハイチ大地震       $14B        $4.6B
  【単位】 B:10億ドル M:100万ドル

なんと言っても世界レベルで見れば日本は金持ち国、自分のお金で復興できるだろうと見られていると記事は伝えている。もっとみっともなく泣き叫び官民ともに機能しなければ良かったか。それはプライドが許さない。それにしても神戸大震災の時は酷く少ない。勿論、金額の多寡で支援の心は測れないが。■

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ボタンを掛け違えたプロ野球

2011-04-06 23:44:21 | スポーツ

選抜高校野球に続き、米国ではMLBが先週から開幕し熱戦を繰り広げている。野球の季節が始まった。日本のプロ野球は開幕時期を巡りゴタゴタしたが、来週12日には両リーグ同時開幕で決着した。先週末には12球団チャリティマッチが実行され11万の観衆を集めたという。

だが、先に行われた日本代表vsJリーグ選抜に比べ、メディアの扱いにおいては注目度が低く盛り上がりに欠けた印象は免れない。大相撲は八百長問題の泥沼から抜け出せず、日本の実質上の国技は疑い無く野球だった。だが、東北大震災はサッカーが国技と錯覚させる場面を作った。

何故そうなったか。私は、プロ野球(プロ野球機構NPBと選手会)は開幕時期を巡って対立した時、ボタンの掛け違いをしたように感じる。先の記事「プロ野球は予定通り開幕すべき」で、(被災者を励まし復興に貢献するという)目的を明確にしてやれば、やりようがあると投稿した。

だが、報道を見る限りNPBは復興よりビジネスを優先していると思われ、パリーグと同時開催を主張した選手会の(自粛)主張が通った形となった。端的にいえば議論が自粛すべきか否かに矮小化されてしまった。NPBはシンボルだが、日本の社会の他の多くの領域でもこのパターンに陥っている。

プロ野球は日本最大のスポーツビジネスであり、トータルで選手達が得る報酬も他を圧倒する規模である。国際的な競技レベル、競技人口とファン及び観衆数、伝統と伝説、どれをとっても国技と言って恥ずかしくない。であるからには、他にやりようがあったはずだ。

NPBはお手本になり実質的にも先頭に立って復興に貢献する姿勢を見せるべきであった。だが、この人達は金儲けしか考えてないと思われてしまった。選手会も傍目を気にして自粛するアピールをしただけのように感じる。国技はサッカーに明け渡す積りか。こうなったら仕方がない、失った信頼を取り戻すために全力を尽くして欲しい。■

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