一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

小学生時代の懺悔

2021-03-10 11:20:42 | プライベート
先月、赤江珠緒のラジオで聴いた、年配のリスナーからの投稿である。
投稿者が小学生時代、クラスメートの女子にキャップ付きの赤鉛筆を借りた。少年はキャップをお尻に挿したりして遊んでいたのだが、そのうちキャップが割れてしまった。
少年はキャップを外した赤鉛筆を女子に返したが、女子は無くなったキャップについて何も言わなかったという。
それでそのままになったのだが、少年はおじさんになった今でも、そのときの罪が頭から離れないという。一応、笑い話だ。

実は私にも似たような経験がある。私が小学校6年のときだ。放課後に小学校全体のミーティングみたいなのがあり、私はクラス代表として出席することになった。場所は1階で、1年生か2年生の教室を使用したと思う。
ミーティング自体は退屈なもので、私は手持ち無沙汰だった。机の抽斗の中には、その机の使用主の筆入れがあった。材質は何というのか、ポリ塩化ビニール製みたいなもので、チャックの部分もそんな感じだった。記憶が定かでないが、女子のものだった気がする。
私はチャックの引手の部分を持って、左右に動かしていた。すると、引手の部分がブチッと取れてしまった。筆入れは閉まった状態で、もう開けられない。私は青くなった。
だけどもう、どうしようもない。誰かに助けを乞うにも、もう筆入れは修復不可能だ。いやそればかりか、私が叱責される。
生唾を飲み込んだ私は、そのまま知らんぷりを決め込むことにした。
しかし、後悔は直後からすでにやってきた。オレはなんてことをしてしまったんだ、と。
翌日になった。いまごろ筆入れの持ち主は、引手の部分が壊されて、泣いているだろう。
そして持ち主は当然、クラスメートが犯人だと主張する。だがそれは違うわけで、その持ち主は却って罵声を浴びてしまうだろう。
だが私がいまさら名乗り出るわけには行かない。私は改めて激しい後悔に苛まれたが、もう忘れるしかないのだった。
だがあれから40年以上経ったいまでも、今回のように何かの拍子で、ふっと思い出すことがある。そのたびに私は頭を抱え、激しい自己嫌悪に陥るのである。
事件を起こした指名手配犯が、逮捕されず時効を迎えたとする。逃げのびた犯人はほくそ笑むだろうが、とんでもない。犯人は贖罪の機会を永遠に失ったのだ。つまり、永遠に罪人なのだ。こういう手合いは今後どこかで必ず、しっぺ返しを食らう。
むろん私もそうだ。私の行為は、刑法に照らせば、軽微なものだろう。だけど筆入れの持ち主に極めて大きな悲しみを与えたわけで、極めて重罪に当たる。
自分の半生を顧みて、なんでこんなことがオレに降りかかる?……みたいな理不尽な出来事が、何度もあった。それはいままでの犯罪の報いが有形無形になって、返ってきているからだろう。
コメント
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