最近見た夢を記しておこう。
まずは17日に見た夢。
私は錠剤数錠と咳止めの粉薬を飲んだ。2回目も同じ分量を飲んだ。
そして3回目のとき、お白洲にいた、若き日の大岡越前にたしなめられた(加藤剛とはまったく違う人物)。しかし私と思われる人物は薬を飲みたかったので、大岡越前としばらく目を合わせたままだった。
やがて大岡越前が目を逸らし、私は薬を飲むことを許された。
小便で起きて、そのあとも私は薬を飲む夢を見た。
続いて19日に見た夢。
私は夜の電車に乗っていた。私を含め5人組前後で、ほかには糸谷哲郎八段、西田拓也五段がいたと思う。車内のシートは変則的で、説明は省くが、要するに3人掛け用と2人掛け用に分かれていた。
私たちは5人全員が座りたかったが、なかなかうまくいかない。
ある駅で人がごっそり降り、私たちは無事、5人全員座れたのだった。
続いて24日に見た夢。
スーツ姿の大男が2人おり、ほかに指原莉乃がいた。指原莉乃は鮮やかなきものを着ていた。
傍らに5~6回建てのビルがあり、壁の周りに列車が走っていた。
やがて列車が廃線になり、ビルの外壁は剥がされ、中は植物が密集していた。レールだけは残っていたが、錆びたレールが密集した形で残っていた。
続いて4月2日に見た夢。
私は「週刊少年サンデー」の編集者だったようだ。
というのは、新刊の少年サンデーをつねに読んでいたから。
聖日出夫の連載マンガはわずか4ページしかなく、表紙の次がいちきなり見開きの2ページだった。絵もラフで、体調不良の中、4ページだけやっと脱稿した感じだった。
このあたりで一度アップしてしまおう。
まずは17日に見た夢。
私は錠剤数錠と咳止めの粉薬を飲んだ。2回目も同じ分量を飲んだ。
そして3回目のとき、お白洲にいた、若き日の大岡越前にたしなめられた(加藤剛とはまったく違う人物)。しかし私と思われる人物は薬を飲みたかったので、大岡越前としばらく目を合わせたままだった。
やがて大岡越前が目を逸らし、私は薬を飲むことを許された。
小便で起きて、そのあとも私は薬を飲む夢を見た。
続いて19日に見た夢。
私は夜の電車に乗っていた。私を含め5人組前後で、ほかには糸谷哲郎八段、西田拓也五段がいたと思う。車内のシートは変則的で、説明は省くが、要するに3人掛け用と2人掛け用に分かれていた。
私たちは5人全員が座りたかったが、なかなかうまくいかない。
ある駅で人がごっそり降り、私たちは無事、5人全員座れたのだった。
続いて24日に見た夢。
スーツ姿の大男が2人おり、ほかに指原莉乃がいた。指原莉乃は鮮やかなきものを着ていた。
傍らに5~6回建てのビルがあり、壁の周りに列車が走っていた。
やがて列車が廃線になり、ビルの外壁は剥がされ、中は植物が密集していた。レールだけは残っていたが、錆びたレールが密集した形で残っていた。
続いて4月2日に見た夢。
私は「週刊少年サンデー」の編集者だったようだ。
というのは、新刊の少年サンデーをつねに読んでいたから。
聖日出夫の連載マンガはわずか4ページしかなく、表紙の次がいちきなり見開きの2ページだった。絵もラフで、体調不良の中、4ページだけやっと脱稿した感じだった。
このあたりで一度アップしてしまおう。