一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

九州旅行13・25年ぶりの訪問

2013-06-25 21:49:34 | 旅行記・G.W.編
さすがに腹が減った。何かご飯系をガッツリ食いたいが、何がいいか。
その前に、本屋へ寄らねばならない。時刻表を買うためだ。旅行も残り2日になって手順前後の感は否めないが、明日は「旅名人の九州満喫きっぷ」の最終3日目を使う予定である。もうスマホで鉄道時刻をごっちゃごちゃ調べるのはイヤだ。時刻表を思う存分繰りたい。
それに6月は、出雲大社や伊勢神宮を列車で回ることも考えている。いま買ってもモトは取れると信じた。
ジュンク堂書店で購入する。しかし図書カードを切らしていたので、現金で買う。定価で買うとは、何だか損した気分だった(図書カードを金券ショップで買えば、3~4%引になる)。
さて晩ご飯だが、ビルの地下街に定食屋があったので、そこに入る。かつ定食(780円)を頼んだら、うどん半玉が無料、とのことだった。もちろんいただく。
そのサービスを聞いてピンと来たのだが、これと同じ系列の店に私は入ったことがある!! たしかどこかの旅行の最終日で、そのときは何かの理由でうどん半玉のサービスを受けず、歯ぎしりした記憶がある。
かつ定食と、もっちりしたうどんを美味しくいただき、会計時に質してみると、やはりこの店はあっちこっちに支店を持つ、有名店だった。
さてきょうの宿は、ネットカフェ「Cybac天神店」である。この旅行で4日目のCybacだ。もう、Cybacからいくらかキャッシュバックしてほしいところである。
午後8時40分に入る。天神店は3年連続の利用。過去2年は換気の悪い「魔の20番ブース」に入れられ、全身タバコの臭いまみれになった。今年そこに放り込まれたら、店を替える覚悟でいた。
しかしそれは杞憂で、ちょうど禁煙ブースが空いたとのこと。ブース内の掃除で待たされたが、20番を回避できたのは大きかった。
私は上機嫌になり、「Cybacを使うのは今度の旅行で4回目ですよ」と店員に軽口を言った。
待っている間、店内のポスターを見たのだが、ブース内のパソコンでは、衛星チャンネルが観られるらしかった。
「将棋」とあるので期待も膨らむ。ブースに入り確認すると、それは「銀河戦」だった。銀河戦もいいが、9時からテレビ朝日系「温泉若おかみの旅情推理」を観なければならない。それが終われば、「世田谷花みず木将棋オープン戦」観戦のブログを書く。テレビでは「ルパン三世」なども観られるらしいが、やはり時間的に無理だ。とくにネックなのがブログで、なんでこんなのにリキを入れなければならないんだと思う。
いかがわしいビデオも観られることもきょう知ったが、これも観ない。こんなところでムラムラしたら、後の処理に困るからである。
シャワーは無料で、3人待ちで浴びることができた。夜食はかけうどん(250円)と焼おにぎり2個(200円)を頼む。どちらも冷凍食品だが、これがこよなく美味い。ソフトクリームも無料なので、ドリンクバーで調達する。これじゃ太るわけである。
午前1時半すぎ、ブログをアップして、仮眠した。

明けて5日(日・祝)。朝は7時少し前に起きた。気が付けば、体がタバコ臭い。一応禁煙ブースには入れてくれたが、天文館店と違いパーテーションで隔離されているわけではないので、結局タバコの煙は浴びるのだ。
きょうの行程だが、あすは福岡に戻ってくる予定だから、あまり遠出はできない。いや遠出はできるのだが、翌日の交通費をあまり使いたくないのだ。
私はかなり迷って、延岡のビジネスホテルを予約した。
ネットカフェを出る。すぐ近くに牛丼の松屋があり、ここで牛めしをかっ食らうのが定跡だったが、胃がもたれて何も入らない。
信号待ちのときにスマホのメールを繰ると、「宮崎→羽田線」のキャンセル待ちが出ていた! もっと早く見ていれば、宿泊地も変わったかもしれないが、仕方ない。たった1席残っていた「福岡→羽田」便にも何かの縁を感じていたが、決断して「宮崎→羽田」便に行き先を変えた。とにもかくにも、これで九州を一周できることになった。
福岡市交通局(地下鉄)・空港線で博多駅に向かう。「旅名人」3日目である。前述のとおり、きょうの最終目的地は延岡だ。鹿児島本線で小倉まで行き、日豊本線で南下するか。内陸部の篠栗線、筑豊本線、後藤寺線、日田彦山線を利用して大分まで出るか。この辺の検討は、鉄道旅の醍醐味である。結局久留米まで下り、そこから久大本線を利用して、大分まで抜けることにした。
博多着7時50分。博多からは8時12分の快速がある。やっぱりお腹が減ってきたので、私は筑紫口を出て、再び「吉野家」に入った。牛丼並・280円は涙が出るような安さだ。ガッツリかっ食らって、これで活動体勢が整った。
8時12分、鹿児島本線下りに乗る。2日前の逆を走るのは味が悪いが、あのときは夜だったから、構わない。久留米着8時49分。1分の待ち合わせで、久大本線に乗り換えた。
ここ数年はバス旅が主だったので、久大本線に乗るのは久しぶりだ。
久留米市街地を抜けると、左右に田園が拡がる。きょうも天気はよい。日曜ののどかな朝である。
時刻表を見ると、この列車は9つめの「うきは」止まりだ。それで、その2つ手前の田主丸(たぬしまる)で、反射的に降りた。
田主丸は、鉄道マニアでは有名な駅で、駅舎が河童の形をしている。
私が初めて九州を旅行したのは1988年7月25日~8月11日だが、当時は貧乏旅行だったので宿は利用せず、就寝時は夜行列車か無人駅を利用していた。
田主丸はそのときお世話になった駅で、25年前の私は、駅待合室のベンチで横になり、蚊取り線香を焚きながら、夜明けが訪れるのを待った。
夜が明けたころ、掃除当番と思しき母娘が来た。と、その娘さん(中学生)が「人が寝とっと!」と驚き、バツが悪かった。ちなみに、私が「角館の美女」に会うのは、この1か月後のことになる。
9時18分、田主丸で降りる。実に25年ぶりの下車である。
改札を抜け、駅のおばちゃんに、上の話を手短に話す。と、この駅舎は1992年に建てられたとのことだった。けっこう古いが、私はその、さらに4年前にお世話になっているのだ。これでは私が歳を取るわけだ。
駅舎の位置も当時と変わっているのだろうが、懐かしい。あの頃の私は、いま以上にバカだったが、何も恐れない、若さという勢いがあった。
表へ出ると、自転車旅と思しき、3人組の中年旅行者がいた。男性2、女性1だ。カメラのシャッター係を頼まれたので、押す。
「いっしょに観光しませんか?」
と健康的な笑顔で誘われた。
遠くには山がそびえている。この辺一帯も含め、サイクリングには格好らしいが、ここで時間を費やすわけにはいかない。丁重にお断りした。
駅舎の2階が河童資料館になっている。河童といえば、岩手県遠野市の河童伝説が有名だが、ここ田主丸にも、河童伝説があるらしい。駅舎の河童は、それに因んでいるのだ。
2階に上がり、河童の絵や木像などを鑑賞する。どれも力作で、本当に河童が存在するような気がした。
次の列車は9時41分。わずか23分だったけれど、束の間の、タイムトリップだった。
(27日につづく)
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中井広恵女流六段は、フードファイターの三宅智子に似ている

2013-06-24 19:04:13 | 似ている
きょう6月24日は、中井広恵女流六段のお誕生日。おめでとうございます!!
その中井女流六段は、フードファイターの三宅智子に似ていると思う。
三宅智子は1983年11月21日、岡山県生まれの29歳。中井女流六段より少し妹である。三宅智子はテレビ東京系の大食い番組で活躍し、エステサロンに勤めていたことから「エステ三宅」と呼ばれた。現在は個人事務所を経営しているので、番組内では「三宅社長」と呼ばれている。
大食い番組での三宅智子はスタートダッシュが見事で、ほかのファイターより頭ひとつ抜けている。大口を開けてほおばる姿も美しい。しかし持久力に欠けるため、いつもいいところで栄冠を逃してしまうのが残念だ。齢29歳はまだ若く、これからもフードファイターとして活躍してほしいタレントである。
中井女流六段と三宅智子は、たまご型の輪郭、小柄なところが似ているが、最も似ているのは、こぼれるような笑顔であろう。ふたりの笑顔には、本当に癒される。
中井女流六段は対局以外でいろいろ気苦労があるようだが、マニアなファンはいつも中井女流六段を応援している。いつまでも素敵な笑顔で、頑張ってください。
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九州旅行12・大団円

2013-06-23 12:16:36 | 旅行記・G.W.編
沿道には、観客が早くもシートを敷いて、場所取りをしている。何となく、今年は観客が多いようである。
放送本部の並びにあるデパートのトイレで用を足して出てくると、放送席にミス福岡が座っていた。恐縮しながらカメラを構えると、こちらを見て微笑んでくれた。綺麗だ…!!
そのまま明治通りをてくてく歩いていたら、スタート地点が見えてきた。私はいままで、放送席からこっち(天神側)にいることが多く、ここまで遡ってきたのは珍しい。しかしこの辺りは観客も少なく、今年はここをメインで鑑賞することにした。
15時05分、パレード開始。福岡市消防音楽隊のパレードに続いて、VIP車が通る。各役員に混じって、今年の「福岡親善大使」が3人乗車していた。彼女らが次のミス福岡になるのである(たぶん)。ここに室谷由紀女流初段がいても、まったく違和感がない。室谷女流初段は早急に、何かのミスコンテストに出るべきである。
さらに西日本新聞グループと、コカ・コーラウエストどんたく隊が続く。彼らは後半にもパレードするが、どんたく隊の代表として出場したものらしい。
続いて福岡オープントップバスと花自動車隊がゆっくりと入ってきた。バスにはウッドペッカーが乗車。花自動車の1台は、「黒田官兵衛」のデザインである。
しかしいかんせん、やや地味だ。昨年はこの隊列にミッキーマウスがいたと思うと、スケールダウンを否定できない。
15時20分からは、「花のマーチングパレード」だ。まずは「幼・小・中学校の部」。児童や生徒が、軽やかな音楽に合わせて行進する。
続いて「高校生の部」。前の部からかなり目に付くのがバトンチームで、正確には数えないが、2校に1校はバトンチームのようだ。当然女子が多いのだが、彼女らは一様に髪を後ろに束ね、似たようなお化粧をしているので、みんな同じ顔に見える。
続いて「昨年度入賞のどんたく隊」。ここからグッと平均年齢が高くなるが、若妻っぽいいでたちのきもの美人も登場して、沿道の熱気も高まる。
喉が渇いたが、3日前に佐土原で買ったお茶がまだ残っている。昼に水も戴いたし、水分の購入は控えるつもりだ。
続いて「大学・一般の部」。大学生ともなると演奏もプロ級で、立ち止まって演奏をしてほしくなる。
16時50分からは、「ゲストバンドの部」で、陸上自衛隊第4音楽隊と、福岡県警察音楽隊の2チームが行進する。自衛隊はともかく、婦人警官のマーチングバンド制服姿に萌えを感じてしまうのは、私だけだろうか。
マーチングバンドはここまで。ここからは「どんたく隊」だ。まずは「他都市どんたく隊」。タイ王国、マレーシア、ハワイ州観光局のどんたく隊がパレードする。どの国のミスも綺麗だが、日本人のそれには敵わない。
続いて「若者委員会どんたく隊」。真弓ダンススタジオはパレードの常連だ。社のスタッフがカウボーイハットをかぶって、姿よく行進する。このいでたちは、山口恵梨子女流初段が似合うと思う。
西南学院どんたく隊が通る。ここはチアリーダーが行進するのがウリだが、ここ数年は彼女らをガードするように、アメリカンフットボールのチームが脇を固めていた。これはけしからんことである。
しかし今年はそんなことはなく、チアリーダーは独立して行進していた。やはりチアリーダーは、客に見られて成立するものである。新フォーメーションの英断に、大いに拍手したい。
17時25分からは「一般どんたく隊」。これが博多どんたくのメインである。一般企業や大学、各地域の同好会など、さまざまなチームが「博多どんたく」や「博多カッチリ節」など、おなじみの音楽に乗って練り歩く。もし時間がない人は、このどんたく隊だけ見れば十分である。
黄昏時になってきた。外付けストロボを家に忘れてきてしまったので、ここから先は撮影が不安だ。
18時35分、福岡オープントップバスと、花自動車隊が再び入ってきた。花自動車は豆電球で電飾されており、当然いまの時間のほうが映える。
どんたく隊のパレードが終了。いよいよフィナーレが近付いてきた。
このあとは、各所で総踊りとなる。司会はおなじみ、RKB毎日放送の茅野正昌(かやの・まさよし)アナウンサーである。有料観戦席に近い、広場本部地区での進行と思われる。もちろんこれは、すべての会場に放送される。
私は中洲川端地区で観るのが定番だったが、お祭り本舞台にはミスが勢ぞろいするので、今年はそちらに移動する。
しかしそこまでが長い! お祭り本舞台に着いたときは、すでに「博多どんたく」が1曲終わっていた。
舞台にはミス福岡の6人が登っていたが、中央広場には大きな輪が二重三重にできており、ここからでは遠すぎる。
私は右から大きく回って、舞台に近付く。私はどうせ踊らないので、少しでも近くでミスを鑑賞するのだ。
2曲目は「博多カッチリ節」。広場ではどんどん輪が大きくなってくる。全国各地にお祭りあれど、これだけの大人数が参加できるのは、博多どんたくを置いて外にあるまい。
ここで小休止。アナウンスがあり、今年の人出は220万人だったようだ。これは例年並みの数字で、ちょっと意外だった。福岡ソフトバンクホークスはデーゲームで試合があったが、恒例の結果速報はされず、翌日のお楽しみとなった。
再開後も、「博多どんたく」「博多カッチリ節」を交互に歌い踊る。広場の輪はまたひと回り大きくなっている。私も踊りたいが、ひとりではイヤだ。彼女といっしょに踊りたい。























そんな宴の時間にも、終わりはくる。
19時20分、町会長らが登壇し、「祝いめでた」を唱和したあと、みなで「手一本」となった。

よーっ、(シャン、シャン)
まひとつ、(シャン、シャン)
祝うて三度!(シャン、シャン、シャン)

今年も楽しい、博多どんたく港まつりであった。
(25日につづく)
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九州旅行11・博多どんたく演舞台を見て廻る

2013-06-22 15:41:43 | 旅行記・G.W.編
(5月23日のつづき)

6日夜の「福岡→羽田線」臨時便は、残り1席になっていた。余裕をぶっこいていたと青くなり、慌てて予約を入れる。2年前の沖縄旅行では帰りのチケットが取れず、大変な目に遭った。「宮崎→羽田線」も捨ててないが、保険を掛けておくに越したことはない。
2,630円を払ってネットカフェを出ると、すぐ前の通りが「どんたくストリート」だった。きょう5月4日は午前10時からの開演だが、同じ10時から「博多駅本舞台」でもイベントがあるので、そちらに向かう。
まずは陸上自衛隊第四音楽隊のコンサートである。さっぽろ雪まつりの自衛隊コンサートもそうだが、これが玄人はだしの演奏で、毎年楽しみなのである。
今回もクラシックやら歌謡曲やら、馴染みの曲が演奏される。〆は歌い手が3人、前に出て、福岡ソフトバンクホークスの応援歌を演奏した。
唐突だが、私は「ソフトバンク」が嫌いだ。私はむかしソフトバンク関連の広告代理店に勤めていたことがあり、孫さんにも会ったことがあるのだが、ちょっと、イヤな思い出しかないからだ。そんなソフトバンクがダイエーホークスを買収して私はおもしろくないのだが、応援歌はそのまま使用しているので、そこは評価している。
まあ郷に入れば郷に従えというし、福岡に来ればホークスファンにならざるを得ず、ここはみんなといっしょに楽しんだ。
ほどよいところで切り上げて、「どんたくストリート」に向かう。ここは数年前に開設された会場で、「プチ博多どんたくパレード」の趣がある。
スタート地点では、「ティニハウ・タヒチどんたく隊」が待機していた。いまは5月だが、常夏の雰囲気がムンムンである。
彼女らがスタートした。このストリートは2か所で止まって演舞をする。沿道は一方通行で、各所にスタッフがおり、それを厳しく指示している。
私もひとつところに止まって鑑賞すればいいのだが、ついふらふらと彼女らについていってしまう。大いに楽しんだが、その後は建物の裏側を大回りして戻ってこなければならず、大変な労働になった。空はきょうも快晴である。
ダンス&パレード、マーチングバンドが終わると、博多アイドルグループ・QunQun(キュンキュン)が登場した。総勢22名の大人数である。彼女らは毎年拝見しているが、解散せずに活動を続けているのは立派だ。
しかしパフォーマンスのとき、彼女らが沿道の観客に対して、90度の角度で横を向いて立っていたのが気になった。
ふつうは観客に正対して歌う。それなのに横を向かれたら、彼女らがよく見えないではないか。
彼女らもメジャーになってきて関係者も「撮影禁止」にしたいのだが、イメージとしてそれはやりたくない。それで、彼女らを容易に撮影させないための措置なのでは、と勘繰りたくなった。
まあそれはともかく、22人のパフォーマンスは圧巻だった。
なお昨年出場したHKT48は、今年は出場せず。地方グループとはいえ、あれだけメジャーになっては、容易に参加できないのだろう。
ラストは「黒田官兵衛ふくこい隊」。黒田官兵衛は戦国・江戸時代の戦国武将。来年のNHK大河ドラマの主役である(演じるはV6の岡田准一)。
生まれは播磨国(兵庫県)だが、晩年は筑前国(福岡県)で過ごした。その縁で、福岡県も盛り上げに一役買っているのだ。
これもなかなか勇壮だったが、中でもMinamiちゃんそっくりの、甲冑姿の少女が魅力的だった。
「博多どんたく港まつり」は明治通りの大パレードのイメージがあるが、上にも少し書いた通り、各所でプチ舞台がある。午後3時からの大パレードの前に、いろいろ見て回る。といっても、私が行くところはいつも同じだ。まずは大博通りにある「博多区演舞台」に向かう。
会場に着いたがいったん出て、近くの立ち食い蕎麦屋でもりそばを食らう。ブランチである。290円はお値打ち。ただ、つゆがずいぶん、甘口だった。
引き続き「博多区演舞台」で楽しむ。ここは募金箱が設置してあり、かつては募金をすると、募金額以上の記念品をくれたものだった。
それがある年からくれなくなったのだが、私は慣習として100円を募金し、その場を去った。
と、後ろから「お客さん」とオカアサンが走り寄って来た。「これ」とビニール袋をくれる。中にはペットボトルのおいしい水と、メモ用紙が入っていた。メモ用紙は200頁以上ありそうで、使いでがある。これはいいものをいただいた。
大博通りを左折して、櫛田神社に向かう。ここも毎年のお参り場所だ。神社に着き、サービスのお茶をいただく。
「博多のお茶は美味いですね」
とお礼を述べる。この一言がミソである。
このあとは参拝だが、今年は大変な人出で、境内の前で3列に並んでいる。私は待たされるのが何より嫌いなので(「待つ」のはよい)、よほど素通りしようと思ったのだが、そうもいくまい。真ん中の列に並んだ。
しかし、左右の列の進行が早い。こっちの列は何をやってるのだ、チャッチャッチャッと参拝してくれよ、とイラつく。
ようやく私の前まで来た。前のオッサンが、深々とお辞儀をする。これはヤバイぞ、と思う。
恭しく賽銭を投じ、パン!…パン!!
やっぱり。このオッサン、念入りにお参りするつもりだ。
合掌し、数秒。再びお辞儀をし、そのまま数秒…。じれったい!
最後に一礼して、ようやっと私の番になった。私は5円を放り投げ、チャッチャッと参拝。自分が幸せになるためには、それなりの努力が必要である。参拝は、慰めのひとつにすぎない。
隣接する、中洲川端商店街に入る。ふつうの旅行者だったらここで昼食を摂るのだろうが、食事処はどこも一杯で、入る気がしない。
リラックマの大きなぬいぐるみが陳列されている。島井咲緒里女流二段が独身だったら食指が動いたところだが、彼女が結婚したいまでは、素通りの一手だ。
どんたく隊が商店の前で、商売繁盛祈願をやっている。これも博多どんたくお馴染みの光景である。
以前さまぁ~ずがこの商店街を訪れ、「何となく通り過ぎてしまう商店街」と評したが、なかなか的を射ている。私は途中で左折し、中央公園に向かう。ここは「若者“かたらんネ!”広場」がある。日射しはますますきつくなってきた。
公園に入り、小中学生のパフォーマンスをしばし楽しむ。時刻は午後2時を過ぎた。
傍らには、JTがブースを出している。JTは将棋日本シリーズを主催している優良企業だ。かなり迷ったが、今回もビニール袋をもらった。ここに街中で拾ったゴミを入れるのである。
がしかし私は、手持ちのゴミを放り込む。
そのまま福岡市庁舎前の「お祭り本舞台」に向かう。ミス大分がいたのでカメラを向けたら、手を振ってくれた。一口に「ミス」といっても首を傾げたくなる「ミス」がいるが、ミス大分は正真正銘の美人だった。
いよいよ「お祭り本舞台」に入る。ここがまた、すごい人出である。
その一隅で行列ができているが、博多松ばやしの一行が入場するらしい。
「博多松ばやし」とは、福神・恵比須・大黒が馬に乗り、稚児を従え、市中を祝いながら廻るものである。これは是非鑑賞したいが、いったん会場を出る。「西日本新聞イムズ演舞台」では、ミス・タイが勢ぞろいしており、「彼」「彼女」をタイ語で講義していた。
「お祭り本舞台」に戻る。と、松ばやし一行が入場し、興奮は最高潮となった。私も10年以上博多どんたくを楽しんでいるが、この一行は初めて見た。
そろそろパレード会場へ向かわねばならぬ。お祭り本舞台を出て警察署の前を通ると、先ほどの松ばやしの一行がいた。警察署長以下が迎え、敬礼をしている。まさに町を上げてのお祭りだ。
JTに寄り、スタッフにゴミ袋を渡すと、傍らのゴミバケツに、ゴミを自分で選別して捨てるよう言われた。これは初めてのパターンである。処理後、札幌と同じく、布切れのようなものをいただいた。私はジュースがよかったのだが、経費がかかるのだろう。
さらに公園内の屋台で梅ヶ枝餅を買う。1ヶ105円は良心的な値段。ふつうは110円、もしくは120円を取るところだ。
私は明治通りに向かう。いよいよ、博多どんたく港まつり大パレードである。
(つづく)
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寺下紀子女流四段は、登山家の田部井淳子に似ている

2013-06-21 01:28:47 | 似ている
日付は変わってしまったが、きのう6月20日は、寺下紀子女流四段のお誕生日。おめでとうございます!!
その寺下女流四段は、登山家の田部井淳子に似ていると思う。
田部井淳子は1939年9月22日、福島県生まれの73歳。寺下女流四段の9か月お姉さんである。1975年、女性として初めて、エベレストの登頂に成功。その名を一躍、全世界に轟かせる。1992年、エルブルス山に登頂し、女性では世界初の、七大陸最高峰登頂者となった。
寺下女流四段と田部井淳子は顔の雰囲気がよく似ている。あとこれはイメージでしかないが、両者とも静かだが、内に一本芯が通っている、というところが似ている。

あまり知られていないが、第1期女流名人位戦三番勝負は、寺下女流四段と蛸島彰子・現女流五段の間で争われた。これは将棋文化検定の問題に出てもおかしくないネタだが、現在は両者ともLPSA所属なので、絶対に出題されない。
その後寺下女流四段は、制度改正のあおりを食って、1985年に引退した。
LPSAの女流棋士の中で、私が指導対局を受けていないのは寺下女流四段だけ。かねがねその機会を窺っていたが、寺下女流四段は現在、LPSAの表舞台から遠ざかっており、もう叶わないだろう。
ともあれ寺下女流四段には、これからも大所高所から、LPSAを支えていってもらいたい。
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