今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日。
いまや恒例となった、「(私が勝手に選ぶ)大山の名局」第5弾をお送りする。
今回は平成3年1月に指された、第49期A級順位戦第7回戦、大山十五世名人対内藤國雄九段の一戦である。
ここまで大山十五世名人は、1勝5敗。序盤から5連敗を喫し、6回戦で難敵南芳一九段に勝ち、一息ついた。しかし降級候補に変わりはなかった。
対する内藤九段はここまで4勝2敗。名人挑戦のためにはもう一番も落とせない。双方にとって、重要な一戦であった。
平成3年1月26日
第49期A級順位戦
▲十五世名人 大山康晴
△九段 内藤國雄
(持ち時間:6時間)
第1図までの指し手。▲7六歩△3四歩▲6六歩△4二銀▲6八銀△5四歩▲5六歩△5三銀▲6七銀△3二飛▲4八銀△6二玉▲6八玉△7二玉▲7八玉△6四歩▲2六歩△8二玉▲2五歩△3三角
▲5七銀△4四歩▲7五歩△5二金左▲7六銀△6三金▲6五歩△同歩▲同銀△9二香▲5八金右△9一玉▲7六銀△8二銀▲9六歩△7一金▲6七金△3五歩▲1六歩△4二角
▲2六飛△3四飛▲4六銀△6四銀▲6六金△7四歩▲6五歩(第1図)
両者とも振り飛車が好きなので、序盤はいつも腹の探り合いになる。本局は大山十五世名人の居飛車に落ち着いた。
大山十五世名人は位取り。内藤九段は穴熊に潜って重圧を軽減するが、人が変われば指し手も変わり、軽快に7筋から動く。
▲6五歩に次の手は当然。
第1図以下の指し手。△7五銀▲同銀△同角▲同金△同歩▲5八金△7六歩▲6七銀△7五金▲5七銀△7四金上▲4三角△3一飛▲5四角成△5一飛▲3二馬△7三桂▲6六銀右△6五桂▲同銀
△同金上▲6六歩(第2図)
△7五銀は当然。▲同銀にはこれも△同角と取ってしまう。自陣は穴熊の堅陣だから、角金交換ならオンの字だ。
大山十五世名人は角を取って▲5八金。以下、ひたすら受けに回る。
内藤九段は二枚の金がスクラムを組んで、駒落ちの上手みたいだ。
▲6六歩には当然、金を逃げない。
第2図以下の指し手。△7七銀▲同桂△同歩成▲同玉△7六歩▲6八玉△7七銀▲5七玉△6六金右▲4八玉△3四桂▲2八飛△8八銀不成▲7二歩△同金▲4二馬△7一飛▲6六銀△同金▲4三馬
△5七歩▲5九金△5八銀▲3四馬△5九銀成▲3九玉(第3図)
当然△7七銀とカチこむ。大山十五世名人は角をおとりに▲6八玉と逃げる。
大山十五世名人は攻め駒がないので、馬を小刻みに使うが、内藤九段の攻めのほうが早い。
▲3四馬と桂を外したが、△5九銀成とボロッと金を取られ、▲3九玉とよろけるようでは、先手もうダメである。
ところが…。
第3図以下の指し手。△6七角▲2六飛△5八歩成▲2八玉△4八と▲6四桂△4九角成▲7二桂成△同飛▲6四桂△7一飛▲3五馬△3八と▲2七玉△3一飛▲3四銀△4三桂▲4四馬△3五歩▲4五馬△2九と▲1八玉△1九と▲同玉△1七香
▲1八金△3九馬▲1七金△同馬(第4図)
このあたりは、河口俊彦八段が「対局日誌」の取材で観戦していた。
内藤九段は△6七角とミエミエの詰めろを放ったが、これが大悪手。大山十五世名人にヒョイと▲2六飛と浮かれ、△6七角がスカタンになってしまった。
内藤九段は△5八歩成としたが、一手遅かった。大山十五世名人は▲2八玉。第3図から△5八歩成▲2六飛に△6七角と打つ人はいないから、△6七角がいかにヒドイ手だったか分かるというものだ。
局面は内藤九段の駒得なのだが、左辺の駒がタコすぎて、やってられない。
それでも△2九と~△1九とと桂香を取り、△1七香に▲1八金と受けざるを得ないようでは、先手が負けに見える。
ところが△3九馬▲1七金△同馬の局面は、先手の飛車と馬の利きが素晴らしく、先手玉は詰まないのだ!
この利きが私には鶴に見えた。もしくは手足を伸ばしたバレリーナに見えた。
この時大山十五世名人、67歳。この歳でこれだけ「魅せる」将棋を指せるのは、もうこの人しかいない。
第4図以下の指し手。▲7五香(投了図)
まで、125手で大山十五世名人の勝ち。
▲7五香が詰めろで、受けても一手一手。内藤九段はここで投了した。内藤九段は順位戦で大山十五世名人に11戦全敗。どうしても勝てなかった。
大山十五世名人はこれで2勝5敗になり、次の青野照市八段戦に、これも苦しい将棋を逆転し、見事残留を決めた。そして翌期はガンの治療を挟んで6勝を挙げ、名人挑戦プレーオフに進出、最後の輝きを見せるのである。
いまや恒例となった、「(私が勝手に選ぶ)大山の名局」第5弾をお送りする。
今回は平成3年1月に指された、第49期A級順位戦第7回戦、大山十五世名人対内藤國雄九段の一戦である。
ここまで大山十五世名人は、1勝5敗。序盤から5連敗を喫し、6回戦で難敵南芳一九段に勝ち、一息ついた。しかし降級候補に変わりはなかった。
対する内藤九段はここまで4勝2敗。名人挑戦のためにはもう一番も落とせない。双方にとって、重要な一戦であった。
平成3年1月26日
第49期A級順位戦
▲十五世名人 大山康晴
△九段 内藤國雄
(持ち時間:6時間)
第1図までの指し手。▲7六歩△3四歩▲6六歩△4二銀▲6八銀△5四歩▲5六歩△5三銀▲6七銀△3二飛▲4八銀△6二玉▲6八玉△7二玉▲7八玉△6四歩▲2六歩△8二玉▲2五歩△3三角
▲5七銀△4四歩▲7五歩△5二金左▲7六銀△6三金▲6五歩△同歩▲同銀△9二香▲5八金右△9一玉▲7六銀△8二銀▲9六歩△7一金▲6七金△3五歩▲1六歩△4二角
▲2六飛△3四飛▲4六銀△6四銀▲6六金△7四歩▲6五歩(第1図)
両者とも振り飛車が好きなので、序盤はいつも腹の探り合いになる。本局は大山十五世名人の居飛車に落ち着いた。
大山十五世名人は位取り。内藤九段は穴熊に潜って重圧を軽減するが、人が変われば指し手も変わり、軽快に7筋から動く。
▲6五歩に次の手は当然。
第1図以下の指し手。△7五銀▲同銀△同角▲同金△同歩▲5八金△7六歩▲6七銀△7五金▲5七銀△7四金上▲4三角△3一飛▲5四角成△5一飛▲3二馬△7三桂▲6六銀右△6五桂▲同銀
△同金上▲6六歩(第2図)
△7五銀は当然。▲同銀にはこれも△同角と取ってしまう。自陣は穴熊の堅陣だから、角金交換ならオンの字だ。
大山十五世名人は角を取って▲5八金。以下、ひたすら受けに回る。
内藤九段は二枚の金がスクラムを組んで、駒落ちの上手みたいだ。
▲6六歩には当然、金を逃げない。
第2図以下の指し手。△7七銀▲同桂△同歩成▲同玉△7六歩▲6八玉△7七銀▲5七玉△6六金右▲4八玉△3四桂▲2八飛△8八銀不成▲7二歩△同金▲4二馬△7一飛▲6六銀△同金▲4三馬
△5七歩▲5九金△5八銀▲3四馬△5九銀成▲3九玉(第3図)
当然△7七銀とカチこむ。大山十五世名人は角をおとりに▲6八玉と逃げる。
大山十五世名人は攻め駒がないので、馬を小刻みに使うが、内藤九段の攻めのほうが早い。
▲3四馬と桂を外したが、△5九銀成とボロッと金を取られ、▲3九玉とよろけるようでは、先手もうダメである。
ところが…。
第3図以下の指し手。△6七角▲2六飛△5八歩成▲2八玉△4八と▲6四桂△4九角成▲7二桂成△同飛▲6四桂△7一飛▲3五馬△3八と▲2七玉△3一飛▲3四銀△4三桂▲4四馬△3五歩▲4五馬△2九と▲1八玉△1九と▲同玉△1七香
▲1八金△3九馬▲1七金△同馬(第4図)
このあたりは、河口俊彦八段が「対局日誌」の取材で観戦していた。
内藤九段は△6七角とミエミエの詰めろを放ったが、これが大悪手。大山十五世名人にヒョイと▲2六飛と浮かれ、△6七角がスカタンになってしまった。
内藤九段は△5八歩成としたが、一手遅かった。大山十五世名人は▲2八玉。第3図から△5八歩成▲2六飛に△6七角と打つ人はいないから、△6七角がいかにヒドイ手だったか分かるというものだ。
局面は内藤九段の駒得なのだが、左辺の駒がタコすぎて、やってられない。
それでも△2九と~△1九とと桂香を取り、△1七香に▲1八金と受けざるを得ないようでは、先手が負けに見える。
ところが△3九馬▲1七金△同馬の局面は、先手の飛車と馬の利きが素晴らしく、先手玉は詰まないのだ!
この利きが私には鶴に見えた。もしくは手足を伸ばしたバレリーナに見えた。
この時大山十五世名人、67歳。この歳でこれだけ「魅せる」将棋を指せるのは、もうこの人しかいない。
第4図以下の指し手。▲7五香(投了図)
まで、125手で大山十五世名人の勝ち。
▲7五香が詰めろで、受けても一手一手。内藤九段はここで投了した。内藤九段は順位戦で大山十五世名人に11戦全敗。どうしても勝てなかった。
大山十五世名人はこれで2勝5敗になり、次の青野照市八段戦に、これも苦しい将棋を逆転し、見事残留を決めた。そして翌期はガンの治療を挟んで6勝を挙げ、名人挑戦プレーオフに進出、最後の輝きを見せるのである。