一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

リターンマッチの難易度

2024-06-25 20:45:02 | 将棋雑考
20日に行われた第9期叡王戦第5局で藤井聡太叡王は敗れ、七冠に後退した。
ここから藤井七冠が八冠に復帰するには、これからの防衛戦をすべて防衛し、第10期叡王戦本戦トーナメントで4連勝し、五番勝負で伊藤匠叡王に勝たねばならない。
さすがの藤井七冠も厳しいが、可能性は十分にある。
ところで、八大タイトル戦で、リターンマッチの難易度は、どうなのだろう。独断で判断してみた。

【難】
竜王戦
名人戦
王将戦
王位戦
棋王戦
王座戦
棋聖戦
叡王戦
【易】

最難関なのは竜王戦で間違いない。竜王戦は八大タイトル戦の中で唯一、前期敗者の特典がない。1組ではあるものの、予選にあたるランキング戦を戦わねばならない。そこで5位までに入賞し、決勝トーナメントで挑戦者にならなければならない。羽生善治九段が「竜王戦(1組)は決勝トーナメントが2つある」と言ったが、実感がこもっている。
ただし、竜王戦で前期敗者のリターンマッチは5回もある。
次に難しいのが名人戦だろう。順位戦A級も予選がないといえばないが、とにかく10名の強豪ひしめくリーグ戦で、優勝しなければならない。
次に厳しいのが王将戦である。こちらのメンバーも7名ながら、いずれも順位戦A級に劣らないので、優勝も至難の業だ。
次が微妙だが、王位戦とする。王位戦は新参者枠が8名と、リーグ戦に入りやすい。ただしリーグ戦では力を出せないケースも多く、その意味で前期七番勝負敗者にアドバンテージがある。4勝1敗でも優勝の可能性があるのも大きい。
それならもう少し下位に置きそうなものだが、王位戦は、挑戦者決定戦で勝つ必要がある。これがあるから、難易度が高くなるのだ。
次は棋王戦とする。棋王戦は、挑戦者決定トーナメントを5連勝で、挑戦者になれる。ただし2連勝してベスト4に入った時点で敗者復活戦へ回れるので、準決勝戦での緊張がやや薄れるのが難点だ。
ただし準決勝で敗れると挑戦権獲得まで4連勝が必要となり、難しいことに変わりはない。
続いては王座戦とする。後述する叡王戦、棋聖戦と同じ4連勝で挑戦者になれるが、王座戦は持ち時間が5時間あり、対局者が相当深く読み込める。藤井七冠など上位者が短時間で読んでも、ほかの棋士も時間をかけて読める気がするのだ。
次は棋聖戦とする。棋聖戦は持ち時間が4時間。その差の分、下位とした。
最後は叡王戦である。叡王戦も決勝トーナメントの4連勝で済むが、持ち時間が3時間で上位者が有利なうえ、この叡王戦は予選が段位別なので、たとえば九段陣は3名しか本戦トーナメントに行けない。
よって、リターンマッチもしやすいのではなかろうか。
王座戦以下の3棋戦は1敗も許されないので、厳しいことは厳しい。叡王戦も、リターンマッチは一度もない。けっきょくタイトル戦に出るのは、どの棋戦でも難しいのだ。
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案ずるより産むが易し

2024-06-24 23:50:04 | プライベート
きょうは「決戦の日」だが、昨晩遅く、私は最善を尽くすべく、先手を取って「顛末書」を書くことにした。
これは今年の1月にも書いたから、当PCに原稿が残っている。今回はそれに加筆・訂正をするだけだから楽だ。例えていえば、過去に当ブログに発表した記事を「将棋ペン倶楽部」用にリライトするようなものだ。
それに加え、私は2009年から毎日ブログを、いや文章を書いてきた自負がある。顛末の報告など、朝飯前であった。
問題はプリンタだが、いつもはこういうときに限ってインクが詰まったり、少なくなったりして印刷ができないのだが、今回はスムーズにできた。
あとはゆっくり寝るだけだが、眠りが浅いうえ、尿意で中途半端な時間に目が覚めてしまった。ここから寝たら起きるときがつらい。というか、これからの決戦を考えたら、恐ろしくて恐ろしくて、寝ることさえ忘れてしまった。
ついに朝が来た。私は気持ち悪くなり、オエッ!! とやる。しかし何も出ない。可能なら休みたいが、きょう私が休んだら、代わりがいない。私のやっている仕事は、当日の休みができない。棋士のように、不戦敗では済まないのだ。
目的地への最寄り駅に着いた。なんだか左手のしびれが大きくなってきた。人間、極度に緊張すると、体の一部がおかしくなるらしい。
制服に着替え、管制に行く。この先に手ごわい上司がいるのだ。私は息遣いが荒くなり、体のあっちこっちがしびれていた。
部屋に入り、上司のもとへ出向く。
「最悪のご報告があります」
1月のときは、ネームプレートの紛失で、かなりねちねち言われた。それが今回は丸ごとの紛失である。もはや雷が落ちるのは確実で、今後の異動もあり得る。最悪、馘も覚悟していた。
ところが私が説明を続けても、上司は割と話を冷静に聞いてくれている。
結局、その場はその報告で終わってしまった。相当な覚悟を持って臨んだ私は、拍子抜けである。
ただ、この場は収まったかもしれないが、きょう一日、何が起こるか分からない。私は上司の一挙手一投足に敏感になっていたが、夕方に上司から、朝の顛末書に赤字を入れて返してもらえた。
これは1月にも行ったことで、これを私が書き直し、上司の上司に提出するのだ。
そして、替えのセキュリティカードも支給してもらえた。
案ずるより産むが易し。きょうまでビビリまくっていた自分が何だったのだろうと思った。ただこれも、私が顛末書を先手で出したから、スムーズに事が運んだのだ。
そして私は、この上司に大きな借りを作ったような気がした。私は、スキあらばこの環境から脱出したいと望んでいたが、それは当分できなくなった気がした。
それはすなわち、今後も自分の満足いく休暇を取れなくなることを意味する。でも、仕方ないのか、それは。
顛末書の再提出は27日。ともあれ、決戦の一日が終わった。
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最近見た夢(2024-06-15、17、20)

2024-06-23 23:04:29 | 
ああウッ!! 明日がユウウツだ……。カードを紛失してなけりゃ、きょうのNHK杯・木村VS西山戦を心から楽しめたのに……。
明日は上司のカミナリが落ちるだろうなあ……。行くのがイヤだなあ……。

   ◇

最近見た夢を記しておこう。
まず15日に見た夢。
この日は気温が高く寝苦しかった。
なぜか韓国人がいて、こんなに暑い部屋なのにいいのか?と問うと、それでもいい、と言った。
韓国人はもう少しわがままだと思っていたので、この答えが意外だった。

続いて17日に見た夢。
室内にライオンだか虎だかの猛獣がおり、それは私のすぐ近くにいたが、私は噛まれることはなかった。
猛獣の視線の先にはウサギのような小動物がいた。
場面変わって、私は大病院に勤めていた。大人数で往診に行くことになり、女性看護師はスーパーカブを用意したりした。時は戦前の昭和だったようだ。
病院は岸壁に張り付くように建っており、その屋上にあたる部分に、強大な貯水場があり、女性看護師が水を汲んでいた。

続いて20日に見た夢。
私は会社勤めをしており、昼食に出た。そこは10階建てくらいのビルで、3階、6階と、8階だか10階だかに食事処があった。
各階は靴を脱いで上がるタイプで、私は各階に行ったが、どこも人が多い。出川哲朗がいた気がした。
そして気が付くと、私は靴を履いていないことに気づいた。どこかの階に置いてきてしまったのだ。
私は上にも下にもいったが、不思議と疲れはなかった。夢の中だから、当然だったか。

ちょっと夢が少ないが、ここでアップする。
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あまりにもバカすぎて、話にならない話。

2024-06-22 23:47:24 | プライベート
現在私は、バイトに毛が生えているような仕事をしている。会社への行き帰りにはあるカードが必要なのだが、今朝、そのカードをバッグから取り出そうとしたら、なかった。
きのう、会社からの帰りにはあったのだ。あやうく会社に置いていきそうになって、それを手に取ったことまでは憶えている。
しかしそのあとの記憶がはっきりしない。いつもだったらヒモをくるくる丸めて、バッグに入れる。
しかしきのうは、その記憶がなかった。だけど行動学的に、バッグに入れそうなものだ。
仮に胸ポケットに入れたとして、昨夜私は、そこにスマホを入れたかどうか。スマホを取り出したとき、カードを落としてしまった可能性はある。とはいえ、絶対に紛失できないそれを、私は胸ポケットに入れるだろうか。
私はバッグの中を隅々まで探したが、もちろんカードは出てこない。私はオヤジに電話をかけてカードを探してもらったが、ない、との返事だった。それはそうで、きのう帰宅してからバッグから取り出したのは、折り畳みガサとペットボトルくらい。つまりほとんどバッグを動かしていないのだ。これじゃあ探しようがない。これがどうしようもない絶望感なのだ。
私は会社周り、交番、私鉄、JRと可能な限り聞いてみた。しかし、いずれも届けは出ていなかった。それはまあ、そうであろう。あれを拾って、届ける人はいない。だけど、あれを拾われたらマズイのだ。
来週の月曜日は上司が出社する。私はすでに同様の前科があるだけに、ちょっと今回はヤバい。レッドカードで首が飛ぶかもしれない。
ああ、この欄で具体的に書けないのがもどかしい。我ながらバカすぎて、話にならない。
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中座真八段、引退

2024-06-21 23:31:48 | 男性棋士
19日に第37期竜王戦4組残留決定戦・中座真八段VS野月浩貴八段戦が行われ、野月八段が勝った。中座八段は5月に引退を表明しており、これが現役最後の対局だった。
中座八段は2023年3月1日より11月30日まで、体調不良を理由に休場していた。昨年末、ようやく休場が明けた矢先にかくのごとくで、残念でならない。もはや、長時間での対局がままならなかったのだろう。

中座八段は1996年4月1日四段。1995年度後期の三段リーグでは、最終戦を負けて12勝6敗。当時中座三段は26歳で、このリーグ戦を最後と思って指していた。しかし到底昇段できる星ではなく、中座三段は絶望の淵に落ちた。だが、奇跡が起きる。競争相手の3人も最終戦で次々と敗れ、中座三段の四段昇段が決まったのだった。
四段昇段を知らされた中座三段は、ヘナヘナとその場で崩れ落ちた。このときの場面は、いまでも語り草になっている。
1997年の第56期C級2組順位戦で、中座四段は松本佳介四段相手に横歩取りの形から「△8五飛」と指した。ふつうは下段まで飛車を引くところを、中座する形で留め置く。これが画期的な新手で、この日同じ部屋で指していた野月四段はその優秀性を見抜き、以後、連採するようになる。その野月八段が、中座八段の最後の相手になろうとは……!!
そして後手になった野月八段は、中座八段に「中座飛車」を指したのだった。
ときに将棋界は、作り話のようなことが起こる。これもまたその一つであった。
中座八段は、2003年に中倉彰子女流二段と結婚した。
2007年にLPSAが設立された際は、中倉女流二段がLPSA所属になったこともあり、LPSAのイベントでは、中座八段がよく解説で出演してくれた。
その中座八段に、私は一度だけ、指導対局を受けたことがある。角落ちで、下手の私は、本家相手に「中座飛車」を指したのだった(「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(2)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(3)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(4)」)。
我ながらうまく指しており、自分でないみたいだった。
中座八段は、竜王戦は2組まで昇ったものの、順位戦はC級1組からフリークラスまで降級し、プレーヤーとしては不満の残る成績だったと思う。
だが、自分の望む職業に就き、自身の名を冠した戦法名を残し、美人女流棋士をめとった。棋士として、これ以上の幸せはあるまい。
今後はくれぐれも身体を大事にし、将棋の普及に努めてください。長い間、お疲れ様でした。
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