夢にまで見たテレビだった、昭和36年
とうとうわが家にもテレビが入ったのだ、妹はテレビが理解できず裏に回って中をのぞき込んだ
よくある話だが中に人が入っていると思ったんだろう、ネコに鏡を見せるのと同じだ
それまでは長いテレビ遍歴があった
最初は大概の家にはテレビは無くて、電気店の店頭に宣伝のためテレビを見せていた
夕方からは大人も子供も2店ある電気屋へ見に行く、どちらの店も数十人の見物人で溢れた
特に相撲が人気で、それがメインだったようでのべつ幕なしに見せていたわけでは無い
栃錦、若乃花、琴ヶ浜、朝汐の時代だ
野球のナイターも見せていたような気がするが子供はそんな遅い時間まで見ているわけにはいかない
そのうち、ぽつりぽつりと近所にもテレビが入り始めると、テレビの無い家の子供たちのテレビ徘徊がはじまった
「ごめんください、テレビ見せて下さい」と言って5人くらいで訪ねていく
それぞれの家では何曜日の何時と時間を決めて見せてくれる
「ハリマオ」だとか「少年ジェット」とか「ポパイ」とか3軒くらいの家を見て回った
そのうちに父と懇意にしていた建設屋の人が「プロレスが見られるから見に来ていいよ」
と誘ってくれた
当時、プロレスが大好きで、雑誌を見ては胸を躍らせていた
ヘイスタックカルホーン、鉄人ルーテーズ、デストロイヤー、キラーコワルスキー、クラッシャーリソワスキー
ゼブラキッド、カールゴッチ、人間発電所ブルーノサンマルチノ、ジェフオルテガ、フレッドブラッシー,
ミイラ男ザ・マミー 七色仮面ミルマスカラス 鉄の爪フリッツフォンエリック
どれもこれも人間離れした化け物だと思っていた
コワルスキーがニードロップで耳をそいだとか聞くと震え上がった
日本は当然力道山が花形で、吉村道明、グレート東郷、豊登、遠藤幸吉
ジャイアント馬場やアントニオ猪木はまだ若手であった、小学校に彼らが来て技を見せてくれた
それがテレビで見られる、当時地元県のテレビではプロレス中継は無く、隣の県ではやっていた
両腕を大きく降って胸元でクロスさせると、脇の下で「カポン!!!」と音がする、豊登のパフォーマンスを
子供たちは面白がってよくまねをしたモノだ。
グレート東郷の首を上下にひょこひょこ動かす真似もしたし、力道山の空手チョップは遊びの定番だった
それがテレビに映るというので楽しみに見に行った
さあ始まる、ザーザーと凄いノイズの中で影が動いている、微かに音声も聞こえる気がする
大人たちの目にはプロレスが見えるらしいが、私にはノイズと影しか見えなかった
その一度で見に行くのはやめた
わが家にテレビが入ったとき、わが家にテレビを見に来た子供は一人だけだった