神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「昭和は良かったね」⑤ わが家にテレビが来た日

2016年09月28日 16時04分00秒 | 昭和という時代

夢にまで見たテレビだった、昭和36年

とうとうわが家にもテレビが入ったのだ、妹はテレビが理解できず裏に回って中をのぞき込んだ

よくある話だが中に人が入っていると思ったんだろう、ネコに鏡を見せるのと同じだ

それまでは長いテレビ遍歴があった

最初は大概の家にはテレビは無くて、電気店の店頭に宣伝のためテレビを見せていた

夕方からは大人も子供も2店ある電気屋へ見に行く、どちらの店も数十人の見物人で溢れた

特に相撲が人気で、それがメインだったようでのべつ幕なしに見せていたわけでは無い

栃錦、若乃花、琴ヶ浜、朝汐の時代だ

野球のナイターも見せていたような気がするが子供はそんな遅い時間まで見ているわけにはいかない

そのうち、ぽつりぽつりと近所にもテレビが入り始めると、テレビの無い家の子供たちのテレビ徘徊がはじまった

「ごめんください、テレビ見せて下さい」と言って5人くらいで訪ねていく

それぞれの家では何曜日の何時と時間を決めて見せてくれる

「ハリマオ」だとか「少年ジェット」とか「ポパイ」とか3軒くらいの家を見て回った

そのうちに父と懇意にしていた建設屋の人が「プロレスが見られるから見に来ていいよ」

と誘ってくれた

当時、プロレスが大好きで、雑誌を見ては胸を躍らせていた

ヘイスタックカルホーン、鉄人ルーテーズ、デストロイヤー、キラーコワルスキー、クラッシャーリソワスキー

ゼブラキッド、カールゴッチ、人間発電所ブルーノサンマルチノ、ジェフオルテガ、フレッドブラッシー,

ミイラ男ザ・マミー  七色仮面ミルマスカラス  鉄の爪フリッツフォンエリック

どれもこれも人間離れした化け物だと思っていた

コワルスキーがニードロップで耳をそいだとか聞くと震え上がった

日本は当然力道山が花形で、吉村道明、グレート東郷、豊登、遠藤幸吉

ジャイアント馬場やアントニオ猪木はまだ若手であった、小学校に彼らが来て技を見せてくれた

それがテレビで見られる、当時地元県のテレビではプロレス中継は無く、隣の県ではやっていた

両腕を大きく降って胸元でクロスさせると、脇の下で「カポン!!!」と音がする、豊登のパフォーマンスを

子供たちは面白がってよくまねをしたモノだ。

グレート東郷の首を上下にひょこひょこ動かす真似もしたし、力道山の空手チョップは遊びの定番だった

それがテレビに映るというので楽しみに見に行った

さあ始まる、ザーザーと凄いノイズの中で影が動いている、微かに音声も聞こえる気がする

大人たちの目にはプロレスが見えるらしいが、私にはノイズと影しか見えなかった

その一度で見に行くのはやめた

 

わが家にテレビが入ったとき、わが家にテレビを見に来た子供は一人だけだった

 


「昭和は良かったね」④ 子供たちの海水浴

2016年09月28日 09時14分03秒 | 昭和という時代

今は侵食が進んで国道の縁まで日本海が来ている

国道の下の砂が流されて自動車がはまるほどの陥没が起きたこともあった

だが昭和も40年以前にはこの海岸は50m以上の長い砂浜が続いていたのだ

夏休みになると小学生は6年生を親分にして地域ごとに10数人のグループで浜へ

泳ぎに行く、時間と泳ぐ場所は学校から指定されているので混乱も無い

海岸一帯が小学生数百名で埋め尽くされる

砂は焼けていて、サンダルが脱げたりすると「あちち!」で必死に海辺まで転がるように走った

波が上がるような場所の砂は乾燥してせんべいのようになっていて、それを形に切り抜いて遊んだ

焼けた大きな石の上に、浮いている直径25cmほどのミズクラゲを砕いて乗せて、水だけに溶けていくのを

喜んで見たりして遊んだ

 

あるとき、私と一学年下のCの二人は泳ぎが得意で無いので、6年生が二人でトラックのタイヤのゴムチューブに

二人を捕まらせて、どんどん沖に連れて行った

そしてかなり遠くに来たところで「帰ってこい」と言って、チュ-ブに捕まっている2人を置いていった

実際はせいぜい数十mなんだろうが泳げない二人には1kmも遠くに来た気がした

仕方なく片手は捕まって片手で水をかいて戻ろうとしたが、泳げない者同士で気が合わない

ただバタバタするだけで、あまり進まない、なんとか前進はしたけれどまだまだ

もう「これじゃだめだ」と思って、思い切って手を離しやみくもに手を振り回して泳いだ

目をつぶって泳いでいるからどれくらい来たのかわからない

もう良いかと思って休んだら、ぶくぶくと沈んでいく

足が底に着いた、目が開いた、上を見たら1~2m程だろうか上に水面が見えた

これはたいへんと、また目をつぶって必死に手をかいた、膝が砂利の底に当たるまでかき続けた

必死になればできるもので帰ってこれたのだ

だが今考えればずいぶんひどい話ではないか、6年生と言ったって子供だ、もし溺れたらどうするんだろう

だが浮き輪に捕まっていたCはどうにも戻れなかったらしくて6年生が再び泳いでいって引っ張ってきたらしい

それなりに責任感は持っていたようだ、これだけやっても泳ぎはその後も苦手だ

海岸線に平行に泳いでばかりいた