北朝鮮がソウルに攻め込んだとき、町の中央を流れるハンガンの橋を爆破するのは
戦略上、重要であった、ここで北朝鮮軍を足止めできれば、韓国、アメリカの軍は再編して
体制の立て直しができるからだ、ところが予想外の不意打ちで、軍と市民がごっちゃになって
撤退となったため、軍を優先的に渡河させる必要があった、そのため多くの市民は河の北側で
足止めされた、しかし北軍の侵攻は早かった、戦車を先頭に攻め寄せる。
市民が渡りきらないうちに橋は爆破された、多くの市民が犠牲になった。
それでも北軍は河のあちこちから渡河してきた。
結局、韓国軍は南に追い詰められ、大統領はプサンに臨時政府を移した、テグ、プサンが孤立しながら
なんとか戦線を保っている、ここが落ちれば大統領を始め要人は、日本に逃げ延びるしかない。
この時、補給線が伸びきった北朝鮮軍に対し、マッカーサー将軍は米軍の西海岸上陸作戦を実行
しようとしていた、問題はどこに上陸するかであった、結局インチョン(仁川)に決まったが危険な賭
であった、だがこの作戦は成功した、意外にも北朝鮮軍が少なかったのだった。
これによって北軍は分断された、そして南側の北軍は逆に包囲されてしまった。
今度は北軍の敗走が始まり、米英韓軍(国連軍)はソウルを奪還し、更に北朝鮮の首都ピョンヤンも制圧
、さらに北へ北朝鮮軍を追い詰めた、ところが今度は北朝鮮軍に中国から中国人民軍が支援に大軍を
送り込んできた。
これで戦線は38度線あたりで膠着状態に成り、やがて休戦協定が結ばれて、今日に至っている。
北朝鮮と韓国の戦争は67年間いまだに続いているのだ、休戦しているだけである、お互いに
相手の国の存在を認めていない、自国を敵が不当に武力占拠しているという事になる。
この戦争には日本の哨戒艇が機雷の撤去に参加したと言うことだ。
この戦争では、駐留米軍が朝鮮に行くことで、日本の防衛力が希薄になる、そこでアメリカ主導で
日本人で編成された「警察予備隊」という軍備を持った組織を作った。 <軍隊>とは言わない、
アメリカが作った憲法を僅か5~6年でアメリカ自ら破ることになるからだ、これが後に「自衛隊」となる。
世界でも数本の指に入る軍備を持っているが憲法上、日本軍ではない、戦闘を行うにしても、いちいち
国会に於いて審議して、憲法を代えるか、憲法解釈を代えなければ一発の弾も攻撃してくる敵に向けて
発射できない、これはあきらかに軍隊ではないのだ、先日ようやく「かけつけ警護」とかの法律ができて、
海外の邦人や一緒に警備する外国軍が攻撃されたときにはそれを援護するための発砲が認められた
ばかりだ。
昭和20年の終戦から、日本では深刻な食糧不足が始まった、食料は国が統制して配給制にする
食料生産ができない都会はいくらお金があっても食料が不足する、国の配給だけでは生きられない
田舎の農家に買い出しに行く、現金だけでなく、豪華な着物などを持って行って交換してもらったりする
せっかくこうして持ってきた米や野菜は、警察に見つかれば没収されてしまう。
警察官でも闇米を食べて生きている時代なのに・・・
さらに海外に出ていた兵隊たちが続々本土に帰還してきた、そして結婚、あるいは家族の元へ
一気に子供が生まれ始めた、食糧難の折り、この子らを育てていくのは容易でない、たいへんな時代
が始まったのだ。(団塊世代の誕生)
この頃は貨幣価値が凄いスピードで下落していった、異常なインフレだ(ハイパーインフレ)
数百円というお金は、結構な金額であったが、それが5年も経つと100分の1以下に下落してしまった
最初に土地家屋を買っておいた人は幸いだったが、現金で持っていた人は大損をしたようなものだ。
この朝鮮戦争で日本の景気が沸騰した、隣国の戦争で景気がよくなったのだ
戦争とはおびただしい弾薬と食料の消耗と補給、そして輸送を産み出す、あるいはけが人と治療、
戦死者の処理、様々な分野が活発化する。
そして昭和27年4月28日、日本は再び「独立国日本」として世界に認められた、同時にアメリカとの間に
日米安全保障条約(安保)が結ばれた。
東西冷戦の中、日本は自由主義陣営の一員として再スタートをした。 つづく