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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


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日本の歴史 おさらい⑯

2016年11月26日 14時36分50秒 | 日本史

北朝鮮がソウルに攻め込んだとき、町の中央を流れるハンガンの橋を爆破するのは

戦略上、重要であった、ここで北朝鮮軍を足止めできれば、韓国、アメリカの軍は再編して

体制の立て直しができるからだ、ところが予想外の不意打ちで、軍と市民がごっちゃになって

撤退となったため、軍を優先的に渡河させる必要があった、そのため多くの市民は河の北側で

足止めされた、しかし北軍の侵攻は早かった、戦車を先頭に攻め寄せる。

市民が渡りきらないうちに橋は爆破された、多くの市民が犠牲になった。

それでも北軍は河のあちこちから渡河してきた。

結局、韓国軍は南に追い詰められ、大統領はプサンに臨時政府を移した、テグ、プサンが孤立しながら

なんとか戦線を保っている、ここが落ちれば大統領を始め要人は、日本に逃げ延びるしかない。

この時、補給線が伸びきった北朝鮮軍に対し、マッカーサー将軍は米軍の西海岸上陸作戦を実行

しようとしていた、問題はどこに上陸するかであった、結局インチョン(仁川)に決まったが危険な賭

であった、だがこの作戦は成功した、意外にも北朝鮮軍が少なかったのだった。

これによって北軍は分断された、そして南側の北軍は逆に包囲されてしまった。

今度は北軍の敗走が始まり、米英韓軍(国連軍)はソウルを奪還し、更に北朝鮮の首都ピョンヤンも制圧

、さらに北へ北朝鮮軍を追い詰めた、ところが今度は北朝鮮軍に中国から中国人民軍が支援に大軍を

送り込んできた。

これで戦線は38度線あたりで膠着状態に成り、やがて休戦協定が結ばれて、今日に至っている。

北朝鮮と韓国の戦争は67年間いまだに続いているのだ、休戦しているだけである、お互いに

相手の国の存在を認めていない、自国を敵が不当に武力占拠しているという事になる。

この戦争には日本の哨戒艇が機雷の撤去に参加したと言うことだ。

この戦争では、駐留米軍が朝鮮に行くことで、日本の防衛力が希薄になる、そこでアメリカ主導で

日本人で編成された「警察予備隊」という軍備を持った組織を作った。 <軍隊>とは言わない、

アメリカが作った憲法を僅か5~6年でアメリカ自ら破ることになるからだ、これが後に「自衛隊」となる。

世界でも数本の指に入る軍備を持っているが憲法上、日本軍ではない、戦闘を行うにしても、いちいち

国会に於いて審議して、憲法を代えるか、憲法解釈を代えなければ一発の弾も攻撃してくる敵に向けて

発射できない、これはあきらかに軍隊ではないのだ、先日ようやく「かけつけ警護」とかの法律ができて、

海外の邦人や一緒に警備する外国軍が攻撃されたときにはそれを援護するための発砲が認められた

ばかりだ。

 

昭和20年の終戦から、日本では深刻な食糧不足が始まった、食料は国が統制して配給制にする

食料生産ができない都会はいくらお金があっても食料が不足する、国の配給だけでは生きられない

田舎の農家に買い出しに行く、現金だけでなく、豪華な着物などを持って行って交換してもらったりする

せっかくこうして持ってきた米や野菜は、警察に見つかれば没収されてしまう。

警察官でも闇米を食べて生きている時代なのに・・・

さらに海外に出ていた兵隊たちが続々本土に帰還してきた、そして結婚、あるいは家族の元へ

一気に子供が生まれ始めた、食糧難の折り、この子らを育てていくのは容易でない、たいへんな時代

が始まったのだ。(団塊世代の誕生)

この頃は貨幣価値が凄いスピードで下落していった、異常なインフレだ(ハイパーインフレ)

数百円というお金は、結構な金額であったが、それが5年も経つと100分の1以下に下落してしまった

最初に土地家屋を買っておいた人は幸いだったが、現金で持っていた人は大損をしたようなものだ。

 

この朝鮮戦争で日本の景気が沸騰した、隣国の戦争で景気がよくなったのだ

戦争とはおびただしい弾薬と食料の消耗と補給、そして輸送を産み出す、あるいはけが人と治療、

戦死者の処理、様々な分野が活発化する。

そして昭和27年4月28日、日本は再び「独立国日本」として世界に認められた、同時にアメリカとの間に

日米安全保障条約(安保)が結ばれた。

東西冷戦の中、日本は自由主義陣営の一員として再スタートをした。       つづく

 

 

 


日本の歴史 おさらい⑮

2016年11月26日 10時52分57秒 | 日本史

戦前の天皇陛下の存在の重みは、アメリカによって作られた「新憲法下」の「象徴天皇」とは

まったく違う。

日本は昭和20年8月15日連合軍が提示した無条件降伏を受け入れた、そして9月2日

米国戦艦「ミズーリ号」において降伏調印式を行った、これによって日本は独立国の地位を

失い、連合軍の占領下に置かれることになった、これは「煮ようが焼こうが勝手にしろ」状態なのだ

無条件降伏とは、言われるがママにするという最悪の受動態

太平洋戦争の敗戦で、もっとも日本の政府や軍部が懸念したのは降伏後の天皇陛下に対する

連合軍の扱い方であった、もし「戦犯」にされた場合、あるいは裁判にかけられるなどは到底

日本国民が許すことのできないことであった。

連合軍にとって、天皇が今度の戦争の最高責任者と考えるのは自然であった、しかし戦争の

終結に際してあれほど勇敢で勇猛で、自らの死さえも顧みず国家のために自殺的戦死を遂げる

国民、そして過激な軍部をぴたりと制して、一糸乱れぬ整列で戦勝国を招き入れたのは、天皇陛下の

玉音放送のただ一声であった。

捕虜や各界の日本人知識層などからも天皇陛下の人柄や国民感情も連合軍は聞き取りをしただろう

その結果、天皇を裁くのは日本人にふたたび反抗なり、暴動なり、あるいはゲリラ戦がおきるのではという

懸念を持ったからだろう、むしろ国民を押さえるには天皇の力が不可欠と考えたかも知れない。

天皇家をそのまま存続させ、但し今までの国家主権を「国民の象徴」とすることで手を打ったということだ

これで国民や軍、政治家は胸をなで下ろした。

連合軍(主にアメリカ軍)がマッカーサー将軍を先頭に日本に駐留した、連合国では日本の占領にあたって

ソ連、中国、英国、米国など戦勝国が日本列島を分割統治するという案があったとは歴史書などに

書かれている、だがアメリカはそれを許さなかった、アメリカ一国が日本に対する戦勝国なのは明白だった

インドシナ半島やマレー半島、インドネシアの戦いではイギリス、オランダ軍を追い払い、中国戦線では

終戦時点では優勢に戦争を進めていた、ソ連とは戦っていなかったが、日本の敗戦濃厚なのを見届けて

満州、朝鮮に攻め込んで略奪と殺戮を行っただけで戦勝国の権利を得た。

もっとも血を流さずに大きな利を得たソ連は、千島列島、樺太、今何かと政治課題になっている北方4島

を戦利品として日本から奪った。

しかしもしソ連が北海道を、中国が東北地方を分割統治していたら、今の日本は朝鮮戦争どころではない

混乱に陥っていただろう。

 

連合軍はまず日本軍を武装解除したあと解体した、日本軍は消え去った、占領はしたが政治機構は残した

あくまでも政治のトップは日本人に任せた、アメリカは日本政治のトップを管理するだけにとどめた、その方が

日本を統治するのに楽だったのだ、日本の官僚機構は今も昔も世界水準だ。

最初に行ったのは戦争を主導したと思われる政治家や軍人の逮捕だった、その後、極東軍事裁判を行い

陸軍の東条英機元首相などが絞首刑に処された。

この裁判の中では、原爆で一般市民を大量殺害した事についての反論があったが「勝利国が敗戦国を裁く

裁判である」と一蹴される場面もあったという、 無条件降伏の意味を知らされた一場面だった。

この裁判に先駆けて、国外ではそれぞれ現地で軍事裁判が行われ、その方面の戦争責任者や戦中地元民

を迫害した罪で多くの兵が現地で死刑にされた。

それから一部分に大きな力を集中させるのは危険と考えて、財閥解体を行い、大会社を分割した、大地主の

持つ田畑も小作人に分け与えさせた(農地解放)、ソ連から帰国した捕虜は社会主義思想に洗脳を受けていた

のでソ連の影響を恐れて「赤狩り」と称して共産党の影響がある人たちを取り締まった。

これはアメリカ本国でもおこなっていたのだった、1950年代に朝鮮戦争が始まるとより厳しくなり、地方の

大きな工場などでもレッドパージという声が聞かれるようになった。

昭和22年5月3日、日本国憲法が発令された、これは平成の今、世界の実情に合わないと自民党が憲法改正

を働きかけ、野党が反発しているのは皆さんもご承知の通り。

この新憲法は、日本は再軍備をしない、戦争をしない、国民が主権者である、自由平等を守る

国民の権利と義務などが盛り込まれている

この昭和20年から25年の間には日本の敗戦の影響で東アジア、東南アジアに大きな動乱が相次いだ

中国大陸では国共合作が終わり、蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党軍が戦闘を再開した、国民党は

中国国民に評判が悪く、次第に共産党の支配地域と支持者が増えて行き、ついに1949年蒋介石は軍と共に

台湾に渡って、中華民国とした。 当初台湾の先住の人たちと激しい摩擦対立があったという。

大陸の中国は中華人民共和国と成り共産党国家となって今に至っている。

朝鮮半島は日本の敗戦でアメリカとソ連が南北半分ずつ統治した、北には戦争中、ソ連に逃げていた

金日成らが戻ってきて、ソ連の指導を得ながら北朝鮮の経営に乗り出した、そのため北朝鮮は

社会主義国家になった。

南朝鮮は李承晩がアメリカの影響下で大統領となった、こちらは資本主義国家の歩みを始めたので、

南北朝鮮は自由主義国家と社会主義国家の対立の縮図になった。

1948年、朝鮮半島の2カ国が独立した、南朝鮮は韓国(大韓民国)と国名を改めた。

韓国初の大統領となった李承晩(イ・スンマン)は昭和27年に、李承晩ラインという

日本海の国境線を一方的に交渉なしに設定して軍隊を駐留させた、それが今日の竹島問題として残っている。

その他のアジアでもインドネシア、インドを始め次々と独立を果たしていく。

1950年6月、突如として北朝鮮軍が国境を破って韓国に攻め寄せた、韓国の首都ソウルは瞬く間に占領

されてしまった、装備も士気も圧倒的に北軍が勝っていた、韓国の大統領等は水原方面に逃げた。

 

                                                 つづく