さて、これから船に乗って軍艦島までクルーズです、とはいえ湾内なので大きな揺れの心配はないそうです
「えええ~! こんな小さいのでゆくの?」と女性陣が大きな声で・・・定員90数名ですから、そんなに小さいと
いうほどでもありません ブラックダイアモンド号すなわち石炭ですね
もう先客が乗っています、二階の展望デッキが人気、潮風に当たっていけば船酔いも無いとのこと
みんな二階を目指します、私は迷っていたら、一番最後になって、やっぱり写真が撮りやすい2階に
ところが満員で、一番前の目立つところだけ僅かに一席空いていました
そこへ行くと、やっぱり先頭はいいですね、遮るものが無い、しかも救命具が目の前にある
さあ出航だ、距離も時間も全く知らず、船任せ人まかせだ
軍艦島についてはテレビで一度見ただけ、内容も忘れた、ただ廃墟のイメージだけが残っている
予備知識としては海に浮かぶ人工島、大きなアパートが建ち並ぶ、炭鉱の労働者家族だけの島
人口は数千人、形が軍艦に似ている。 このくらい
今日はうららかイメージの九州でも、滅多にない最高の好天で波も無くこれほどの条件良しは珍しいのだという、
添乗員さんが前回のツアーは悪天候で接岸できず中止になったと言っていた
船は海と言うより川を下っていく感じ、下ると言っても我々の地方のような急流では無く、平らな湖面を行くような
感じ
大きな貨物船や
自衛艦
町の風景
高くて長い橋も(長さと高さが何とやらと同じとか言ってたが忘れた)
しばらくは造船所が続くが、ここにも五つ?ほど世界遺産があるとか、全てが造船所関係だそうだ
(内容は忘れたが、T字型クレーンとか言ってた)
そして戦艦武蔵を造ったドッグとか(船台?)もあった
やがて外海らしいところまでやってきた、左右に島が点在する、大きな島、小さな島、集落や町がある島
無人島、様々な島・・・そういえば長崎県は北海道に次いで海岸線の総延長がながいのだとか
私は新潟県あたりが長いと思っていたが、新潟県は意外と順位が低い、長崎は意外だったが、たしかに
出たり入ったりが連続し、島も多いのでそういうのを足せば長くなるのだろう
軍艦島へ行く前に手前の大きな島(名前は忘れた)に立ち寄り、軍艦島の模型を見ながら説明してくれるそうだ
(伊王島だったかな?)ここも観光地になっているようだ、だが軍艦島客は所定の場所から出てはいけない
ここには明治の大商人岩﨑弥太郎の銅像がある、軍艦島は三菱の炭鉱の島なのだ
ソテツの花
軍艦島にはトイレが無いのでこの島で済ませてくださいとのこと
再び出航、間もなく軍艦島が見えてきた、隣の丸い島は自然島なので当然樹木が茂っている
人工島の軍艦島には樹木が無いので、この隣の島まで桜を見に来たという
そのため軍艦島ではアパートの屋上で庭園を造った、屋上庭園の走りなのだそうだ
それにしても私の場所は最高だ
これが軍艦島の菜の由来
それにしても不自然な思いがぬぐえない
間もなく接岸、乗組員の軽業師のような動きに目を見張った
いきなりこの風景
軍艦島の本名は「端島(はしま)」なのだ
パンフによれば東西160m、南北480m、面積6500㎡で人口5300人
人口密度は東京を遥かに凌ぎ、東京都の9倍だった
上陸、息を吞む風景、まるで空襲のあとの都会のようだ
アパートの廃墟
プールのあと
1890年(明治23年)三菱が買収して本格的な採炭始まる 1916年高層集合住宅が建つ
昭和に3種の神器と言われたテレビなどの電化製品は、この島の各家庭で100%普及したという、日本全体では
普及率20%にも充たない時代だった
軍艦島が今日までこのような状況ながら遺跡として残ったのは三菱という民間の管理だったからだという
近くの島の炭鉱は全て官営で手厚い保存はされなかった、そのため近くには海底採掘の影響で海面下に水没して
しまった島もある
海に面した1200mは堤防が築かれたが荒波で破壊されて、そのつど改修や新築学理帰された、その中に
僅かな長さだけ明治時代の建設のままの姿が残されており、そのおかげで世界遺産に登録されたのだそうだ
つづく