神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

75回目の3月10日

2020年03月11日 17時22分39秒 | 昭和という時代

私は祖母を知らない、私が生まれる5年前に夫と共に亡くなった

亡くなった場所は東京の亀戸あたりらしい

二人が亡くなる瞬間を見たものは多分一緒に亡くなったので

誰も見た人は居ないようだ

 

祖母は姓が3回変わった、結婚も2回している

生まれた時の姓A、祖母の母の再婚でB家の養女になりB姓に

なったが、結婚するとき、A本家の奥様の養女となってAに戻り

家を再興して婿をもらった

3年ほどで離婚して家計が苦しくなって息子(私の父)を古河に置いて

鬼怒川温泉で住み込んで働いた(旅館で働いていたらしい)

そこで(私の姓である)東京の遊び人Cと知り合った

東京に出て専業主婦として上野周辺でCと暮らし、小学生の父を

田舎から呼んで一緒に暮らしたが、祖母の姓はAのままで父もAのまま

今思えばCと祖母は同棲と言うことになる

けれど昭和19年にCは正式に祖母にプロポーズして(それは空想)

祖母はC家に入籍した、同時に20歳の父もCの養子となった、それで私も

Cという姓で生まれたのだ

これで本当の夫婦になったのだ、一緒に暮らしてから10年目くらいだろうか

そこが一番幸せな時だった、祖母がCを名乗ったのはたった半年だった

昭和20年3月10日深夜、東京大空襲10万人の東京市民がたった2時間で

焼け死んだ、隅田川は水死、焼死の人たちで埋め尽くされた

浅草は松屋など僅かな建物を残して燃え尽くされた、東京の半分が消えた

祖父と祖母は手を取り合ったまま天国へと旅だったのだと思いたい

祖父が祖母をいたわり支えながら二人は手を握って旅だったと思いたい

祖父は50歳、祖母は45歳だった、遺骨もお墓もない

葬儀は終戦間もなく、父とCの弟(父の叔父さん)の二人きりで浅草日輪寺でおこなった

C家の代々の墓は浜松にあったのだが、米軍の浜松市街への艦砲射撃で

寺も住職も吹き飛んで焼けてしまったと言うことだ、その寺の息子が

時宗日輪寺で修行していて助かった因縁で、そこでしたのだという

あれから今年はちょうど75年目、一つの区切りだ

翌日の3月11日は東日本大震災&巨大津波で亡くなった人々の慰霊が

おこなわれている、ニュース報道も盛んだが、東京大空襲については

もうほとんど報道されない、本所の東京都震災戦災慰霊堂では報道に

よれば秋篠宮ご夫妻、小池都知事も参列されて600人規模で慰霊祭が

おこなわれる予定だったが新型コロナの件で3名とも欠席され、約70名

に縮小しておこなわれたとのことである