折節極月(師走)で中旬であれば、信濃路は南北に山近く、厳寒骨を砕き、その日は朔風(北風)しきりに吹き、晩方より山々には雪が降り始めて、たちまち野山を白く変えてしまった。
雪は武田勢の兵の上にも遠慮なく降り積もり、雪まみれの兎の如し
皆々行軍で疲れた上に、寒風吹き叫び焚火でわずかに暖を取って凌いだ
小田井兄弟は晴信の出陣を聞き、急いで諏訪に援軍の伝令を走らせたけれど、諏訪頼茂はこの時、風邪を引いて寝込んでおり出馬はできず、さらに村上、小笠原まで走らせたが、冬でもあり遠方なので後詰が来るより遥かに早く武田勢が攻め込んできた。
小田井の勢は三千二百騎、兵たちは早くも武田勢の勢いに浮足立ち、恐怖心に恐れおののいた
これを櫓の上から見てとった小田井又六郎は馬にまたがり、城中を駆け巡り
「おののくな、敵は僅か五千にも満たぬ、今夜は城攻めに不利な天気であれば攻め寄せることは無い」と言えば、ようやく城中鎮まるようになった。
又六郎は石つぶてを兵たちに集めさせて櫓のそれぞれに配って、敵の攻撃に備えさせた。
また気の利く者十余人を集めて商人の体にして武田陣に送り出して武田軍の配置、人数などを調べさせた
それによれば総勢八千余騎と言えども、上州勢に真田、その後方に山本の勢四千五百、晴信の本隊は三千五百を五千と偽っていることがわかった。
又六郎は、これを聞いて大いに歓び、「敵は少ない上に、寒さと疲労で弱っている、今宵やつらが寝静まるを見て夜討ちすれば晴信の首などやすやすと取ることが出来よう」
これを聞いた城内の者どもは大いに勇んで小躍りして夜討ちの時を、いまかいまかと待った。
すでに夜半を過ぎ、又六兄弟は軽装にして腰兵糧を結び、軍勢を庭に呼び出し
「かかる厳寒には少々の酒をもって体を温めよ」と言って、酒樽の栓を幾つも打ち抜いて兵らにふるまった。
皆々立ったまま酒を酌み交わした頃合いに、又六郎は自ら髪を短刀にていくらかを切り取って言うには
「敵の大将、晴信は若いと言えども、これまで諏訪、小笠原の老練なる軍勢が幾度も打ち破られた難敵である、容易に晴信の首を取れるとは思わぬ
しかるに我らの如き国人の分際では尋常の戦い方では勝利などおぼつかず
今宵の戦で晴信の首を取れなければ、我は二度と城に戻らず討ち死にするものなり、それゆえに今このように髪を切ったのである
万に一つでも生きて戻ろうという心持あらば勝利はけっして無い、死して勝つのみ、この戦は死を覚悟の戦なり、わがために一命を惜しむなかれ」
舎弟次郎左衛門、岩津新七郎、同鉄右衛門など皆々主への忠臣を申し上げ、それぞれに大将に倣い、髻を切れば、士分の兵すべてこれをまねて髻を落した
大将の覚悟を聞いて、もはや盃を手にしている者など一人もなく、誰もが心を一つにして晴信の首、それだけを念じている
間もなく二の廓を出て兄弟は二千余騎を二手に分かれて、武田勢のかがり火を目指して進軍を開始した。
天文十三年十二月中旬、晴信は小田井の城を囲んで陣を張ったが、少しも怠ること無き大将であるから、敵の夜討ちもあるやもしれぬと用心を怠ることはなかった。
晴信は自ら一刻に一度陣中を見回ったが、味方の者どもも警護を怠ることなくいたが北風が骨を貫く寒さである
兵たちはかがり火を盛んに炊いて、互いに体を寄せ合って暖を取っていた
丑の刻を過ぎた頃、にわかに風の音が騒がしくなってきた
それは北表かの陣が一面の火の海となったからだ、これは小田井の兵が攻め寄せて陣中に火矢を討ちかけたためであった。
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