80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

走れ!ボロ電(4)

2025-01-19 03:22:02 | 私鉄電車
ビューゲルの取付け方が分からないので、またまた実車観察に行ってきました。

向かったのは文京区内にある「神明都電車庫跡公園」なる場所。山手線の駒込駅と田端駅の中間あたりです。文字通り都電の神明町車庫があった場所で、現在は都営アパート、文京区勤労福祉会館、本駒込図書館とともに公園が整備され、その片隅に都電6000形6063号車と乙1形乙2号電動無蓋貨車が静態保存されています。



6063号車。屋根付の非常に良いコンディションで保存されています。塗装もピカピカ☆



こちらが電動貨車の乙2号車。ブリルの2軸台車を持ち、部品の配給やバラスト輸送に使われたそうです。一時はボロボロだったらしいですがこちらもしっかり復元されて奇麗な緑色に塗られています。実は今回のメインディッシュがこの乙2だったりします。



なぜかというと集電装置-ビューゲルが架台とともに丸見えだからです。後で6000形のビューゲルの写真も出てきますが、下の方がよく見えないのに比べるとこちらは丸見えです。この写真で既に分かる通りガイシは一切ついていませんでした。ビューゲルの架台をまじまじと見たのはこれが初めてですが、ほほ~という感じです。



構造は実にシンプルです。アングルで組まれた櫓の上に厚さ7~8センチの堅木を介してビューゲル本体がボルトで固定されているだけでした。前回の投稿で「まさか木の櫓に載ってはいないよね」と書いたのは半分当たっていて、櫓こそ鉄製ですが絶縁材は「木」でした。ちなみに都電の架線電圧は600ボルトです。



では、電動貨車より大型の6000形のビューゲルの搭載方法はどうなっていたかというと、こちらも碍子ではなく堅木の上に直接ビューゲル本体が載っているだけのように見えます。



別の角度から。。乙2と同様に赤丸で囲った部分が木の絶縁材です。しかしよく見ると、塗装表面の具合から、黄色で囲った足の部分も木材が使われているように見えます。車体が大きいぶん2倍の絶縁を施しているのでしょうか??




ということで都電のビューゲル事情はよく分かりました。しかし、だからといって山梨交通も同じとは限りません。ただ、事業者によってどうかというよりも電圧が600ボルトという低圧だから「絶縁材は木でもいいよ」となっている気がします。これは東京メトロの地下鉄博物館に保存されているFS23と思われる台車ですが、コレクターシュー(集電靴)は頑丈な木製梁に取り付けられていて碍子は使われていません。



いずれにせよ模型はパーツの構造に応じて取り付けるしかないので、甲府モデルさんのボロ電をチラ見しつつ屋根上のディティールを追加しました。中央は恐らくポール時代からあったと思われる歩み板状のもので、前後のドアの上あたりにある突起は恐らくポールを繋ぎとめておくフックか何かの台座の名残ではないかと思います。いずれもプラ板で作ってあります。



ビューゲルの台座はt1プラ板から切り出したもので堅木の絶縁材をイメージしています。なお、コメントで指摘いただいたようにビューゲルはカワイ製ではありませんでした。「汽笛工房」製ではないかとのご助言をいただきましたが、直接そちらから買った記憶もなく、ナゾは深まるばかりです。


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走れ!ボロ電(3)

2025-01-18 02:28:28 | 私鉄電車
山梨交通モハ7形ボロ電の製作に戻ります。

屋根板の端切れで“オデコ”を作り整形。薄紙から切り出したシル・ヘッダーと雨樋を貼り込みました。



エコーのハーフガーランドベンチレーター(No.725)を載せるためφ2mmの取付穴を開けます。先日見てきた保存車はだいぶ間引かれてしまっているので、現役時代の写真を参考に左右各6個、計12個を載せます。こっそり甲府モデルさんのボロ電の屋根上も参考にさせていただいております。恐れ入ります、、こんどなんか買います。。💦



ビューゲルは手持ちのカワイ製と思われるものを使います。線材を半田づけして組んだ高級?品。何もしないと復元バネで垂直に立ち上がったままなので何かしないといけません。実物みたいにヒモで引っ張っとく?



ベンチレーターとビューゲルを仮置き。いいじゃないですかぁ~~と目を細めたのも束の間、ビューゲルの取付方法が分からずに愕然。保存車はパンタに換装されていて参考にならないし・・・。仮にも集電装置なので屋根にベタ付けということはないと思うのですが、都電など路面電車の写真を見てもガイシらしきものが見えないので木製の櫓にでも乗っているのでしょうか???



ということでなんとか上回りは先が見えてきました。次なるはホワイトメタル台車枠の“走行化”に勤しみます。
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紙の記憶4_おもちゃ屋で床下機器を買った話

2025-01-16 09:30:05 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
「かしわや」の昔話に多くのコメントをいただいて驚いています。小さな個人店なのでご存じの方はほぼいらっしゃらないだろうと思っていたら、まさかのご近所さんもおられて「世の中は狭い」。

さて、今回は少しハードルが上がって当時の写真がありません。脳内の記憶だけが頼りの話なので何か大きな記憶違いがあったらゴメンナサイなのですが、逆に「そんな店あったー!」という情報が得られれば今までのモヤモヤが晴れるので敢えてアップしました。


西武新宿線に「新井薬師前」という駅があります。ここからほど近い場所にある梅照院というお寺の正式名称を新井山梅照院薬王寺と言い、古くから「新井薬師」として親しまれたことから駅名にもなっているのですが、その門前から続く「新井薬師門前通り」にあったと思われる玩具店にまつわるお話です。下の地図の赤丸で囲った通りです。



恐らく中高生の頃だと思うのですが、なんとその店は玩具店なのに鉄道模型も置いてあったのです。実際に記憶に残っているのはカワイ製と思われるバラの床下機器を買ったことだけなのですが恐らく完成品も販売していたのではないかと思われます。店は割と大きく、あふれるおもちゃの一画に模型の販売カウンターがあったように記憶しています。前回の投稿で「練馬の玩具店に水野の4110が置いてあった」とのコメントをいただきましたが、まさにそのような状況だったわけです。

そんなおぼろげな記憶しかないため、その店が実際にあったのか、夢ではなかったのかと不安だったのでヒマになったらご近所へ聞き込みにでも行こうかと思っていたのですが、ふと古い住宅地図に載っていないか?と気づき、地元の図書館で1976年のものを閲覧しました。(このとき「かしわや」も確認すればよかったのにすっかり失念していた。。)

すると、それらしき玩具店があったのです。赤丸で囲ったところに「富士屋玩具」の文字が見えます。敷地もかなり大きく記憶に合致します。イメージ的にはもっと左下の新井薬師(梅照院)寄りでしたが、その他に玩具店は見当たらないので恐らくココでしょう。店名は「おもちゃのフジヤ」とかだったのでしょうか?私の記憶では「おもちゃのバンビ」だったのですが大いに却下された格好です(笑)。懐かしさが込み上げました。

(ゼンリン住宅地図1976年版「中野区」より ※一般住宅部分はカットし店舗部分のみ掲載)


Googleストリートビューで事前にチェックし、店舗はすでに無くなっていることは確認していましたが現地へ行ってみました。年始とあって新井薬師は新年の参拝客で賑わっています。



地図の場所は4階建のマンションになっていました。マンション名に元の屋号の一部が入っているのでオーナーは一緒なのでしょう。1階が店舗になっていますが玩具店ではありません。建て替えを機に廃業したのか廃業を機に建て替えたのか。。確定はできませんがこれである程度記憶が裏付けられました。



場所は分かったのですがいつ頃行ったのでしょうか。最初の方で中高生の頃と書きましたが、そう考えられる「バスの記憶」があります。この通りは関東バスのほかに池11系統(池袋駅~中野駅)を共同運行する国際興業のバスも通ります。ものすごい爆音を立てて丸型の後部を見せながら走り去る国際興業バスの姿が目と耳の記憶に残っているのです。

このバスはいすゞBU10型といい、川崎航空機製の通称“丸型”と呼ばれるボディをもっていました。残念ながら手持ちの写真がないのですが、こちらのサイトに岩手県交通へ移籍後の写真が載っています。その後もボディが一新されてBU10は継続生産されるのですが、なぜかこのタイプだけはものすごい音を立てる「爆音バス」として多くのバスファンの記憶に残っているのです。

サイトの記事によれば1971~72年にまず第一陣が譲渡され、その後1976年にも譲渡されたとありますので、このバスが国際興業で見られたのは1976年ごろが最後になります。小学生ではさすがに自転車でここまで行くことはないので中学生か高生に上がったばかりの頃と推測したわけです。現在はバスもスマートになり爆音は聞かれなくなりました。



インターネットも無かった時代、その店をどうやって知ったのでしょうか。近所に住んでいた友達と自転車で行ったわけですが、その彼から聞いたにしても何で知ってたの?という話で・・・。どこかの模型店で小耳に挟んだのかも知れませんがそこだけが未解明な疑問です。


新井薬師前駅周辺の西武新宿線は地下化へ向けて工事が進んでいます。この「開かずの踏切」が過去のものになる日も遠くないでしょう。


コメント (4)
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紙の記憶3_「かしわや」探し

2025-01-12 00:38:27 | 昔話・・・80分の1丁目の夕日
1枚の古い写真が出てきました。1975(昭和50)年、ちょうど半世紀前の撮影です。

本来は都バスを撮ろうとしてタイミングが早すぎ、その結果、「紙の記憶1_何でも揃った街の模型店」で言及した地元の小さな模型店「かしわや」の姿が偶然記録されたものです。場所は地下鉄丸ノ内線新中野駅から東へ5~6分歩いたところで青梅街道に面しています。間口が狭く奥が深い京町屋のような造りになっていました。



拡大すると確かに「かしわや」の文字がうっすら読み取れます。入口の右側のショーウインドーには篠原?のダブルクロスがガラス面に貼り付けるように飾られていて、高級感漂うその光景に、「いつかはクラウン」ならぬ「いつかはダブルクロス」・・・と羨望のまなざしを送ったものです。店内には所狭しとプラモデルや科学教材などが積まれ、頭上にはOゲージの周回線路がありました。新幹線1000形試験電車とおぼしきHOのペーパー車体がいつも置いてあったのも印象に残っています。



このたび、改めてこの店がどこにあったのかを調べてみました。近所だから写真を見れば一発で分かるとタカをくくっていたのですが、就職してからしばらくは東京を離れていたこと、東京へ戻ってからも多摩の方に住んでいたことなどから、すっかり建物が建て替わってしまったこの光景に、さてこの写真はいったいどこを写したものやら??となってしまったのです。

バスの後ろ側には狭い路地があるように見え、そういえば「かしわや」へ行くときは路地をルンルン気分で歩いて青梅街道へ出ていたのだなぁ・・・という記憶と繋ぐところまではできました。しかしこの辺は似たような路地が多いのです。

写真をいろいろなめ回しているとバスの後方に丸い看板があるのに気が付きました。消火栓の所在を示すお馴染みの赤い看板です。文字数からすると「防火水そう」と書かれているようにも見えますが、いずれにせよ消防水利に関する看板に間違いありません。そして消防水利なら年月が経ってもそうそう動いたり消滅したりはしないだろうと考え、範囲を絞って現地を探してみると・・・。



ありました!中野消防署の脇の路地を少し入ったところに「消火栓 区画量水器」と書かれた四角い鉄蓋が!!



うすうす予想はしていたのですが、「かしわや」を含む一帯は奥の方まで含めて更地となり、老朽化した旧中野消防署の代替移転地となっていたのでした。移転は平成5(1993)年とのことですが、その4~5年前、すなわち平成元年前後にはすでに一帯の建物は取り壊されて更地になっていたようです。駅前の再開発でもないのになぜ?という疑問はありますが、老朽化した木造住宅の密集地だったので防災上の理由などがあったのかも知れません。


これがほぼ同じ場所から写した現在の様子です。消防署の建物の2本見える柱のうち左側の柱の前にこんもりとした植込みがありますが、「かしわや」はその辺りにあったものと推定されます。左に見える店舗などもすっかり様相が変わってしまいました。余談ですが、電線も地中化されているため、電柱での現場特定もできませんでした。



位置関係を地図に落とすとこうなります。



試しに都バスを入れて同じようなカットを撮ろうとしたら見事に被られましたwwww 何度も撮り直すような事案でもないのでまあいっか。。ちなみに冒頭の写真に写っている都バスの行先は「東京駅南口」と読め、清水操車所・荻窪駅と東京駅とを結ぶ「東75」系統であることが分かりました。その後の系統再編により、青梅街道から新宿駅を越えて都心部へ直通する系統はありません。



かくしてモヤモヤしていた「かしわやはどこだ」問題に区切りがつきました。夫婦二人で切り盛りした子供心をくすぐる思い出深いワンダーランドは消防署に姿を変え、私たちの暮らしの安全安心を守り続けてくれることでしょう。

コメント (12)
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走れ!ボロ電(2)

2025-01-08 02:30:53 | 私鉄電車
今回はあまり進んでいないので短めです。

前面はユニット化しておき側板にイモ付けします。スノーマット紙は急な曲げで層分離しやすいので、コーナーのRは削り出しで表現します。



車体が箱になりました。屋根はもう少し深くてよかったかも。



モーターをFK-130SHからIMONの1527Dに変更することにしました。FKはシャフトがφ2なので、φ1.5のIMONギヤと内径φ1.2のシリコンチューブでつなぐのはさすがにムリがあるのでは?と思い始めたので。ちなみにモーターホルダーの取付ネジは、IMONのサイトの図ではM1.7になっているのでM1.7を買ってきたのですがしれっとM2に変更になっていました。オーマイガッ!


コメント (2)
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