アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

今日(4月1日)は、新年度の始まりの日です。
我が家では2つのおめでたい日です。

まず、カミさんの誕生日です。
次に、息子の社会人としてのスタートの日です。

カミさんは、息子の門出を祝って、朝ご飯に赤飯を用意していました。

ただ、社会人のスタートを祝える気分でない人もいるかもしれません。
いわゆる「第二志望」どころか「第三、第四志望」の会社(職場)からビジネス人生をスタートさせざるを得ない人たちが大多数だと思います。

そんな人たちに捧げる私のメッセージです。

第二志望の人生

出典は、拙著『アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方』(コスモス・ライブラリー、1,600円+税)です。
少々長いのですが、おつき合いください。

アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方
―人はだれに心をひらくのか
岩井 俊憲
コスモスライブラリー


毎年、四月になると思い出す話がある。私自身が勇気づけられた体験である。

昨今、厳しい就職戦線である。思いどおりの会社に入れなかったり、希望の職種に進めなかったりした「不本意入社」の社員が多い。
「フレッシュマン」といわれるのに、心がフレッシュになれず、劣等感、不本意感を抱き続ける人がいる。

何を隠そう、私自身もかつては「不本意入社」をした男である。
大学院に行きたいと思いつつ、実家の経済状態が許さず、就職活動をしないまま12月のある日、「新卒者も可」という一項に魅せられて、ある外資系家電メーカーに応募した。

採用試験に臨んで、志望部署を①企画、②人事、③経理と優先順位をつけた。
最後に面接したのは、公認会計士の資格を持つ経理・人事を統括するマネジャーだった。

数日後、採用通知が届いた。感激はなかった。
その後も会社の広報誌がたまに送られてくるだけで、会社に呼ばれる機会がほとんどなかった。
会社も私ものんびりしたものだった。

3月中旬ころ、威勢のよい女性の声で実家に電話がかかった。
「岩井俊憲さんですか? 私Sと申します。あさってボスが面接したいというので、会社に来ていただけますか?」

2日後、会社に行ってみると、蝶ネクタイをした恰幅のよい40歳くらいの人が、私の上司になる人だと自己紹介した。
そこまではいい。その次の言葉が私を驚かせ、かつ大いに失望させた。
「セールス・マネジャー」だと名乗ったのである。
「なんたること! これは詐欺じゃないか!」と思った。
セールス・マネジャーの蝶ネクタイがまるでペテン師の象徴のように私の目に映った。

3月中旬にもなって、いまさら新たな就職活動をする余裕も気力もなかった。
私は不本意なままビジネス人生のスタートを切った。

私の配属された部署は、極めて人使いの荒いところだった。
計画性などまるでなく、工業展への応援、ディーラー対象の研修、工場での新入社員研修などを次々と命じ、挙句の果ては、セールス・マネジャーが総代理店での新入セールスマン研修の話を聞きつけるや、私の派遣を約束したために、私は飛び込み販売をさせられたり、皆の前で大声でバナナの叩き売りをやらされたり、私のプライドは完全に傷つけられた。

入社1か月後、セールス・マネジャーから入社後の感想文を書くよう命じられた。
私は腹いせもあって、すぐさま「当社七つの大罪」と題した、10枚ほどのレポートを提出した。


しかし、おとがめがなかったどころか、全然リアクションもなかった。
私は幻滅し、完全にふてくされた。

半年後、セールス・マネジャーが突然代わった。
東大法学部卒の若々しいマネジャーは、知性だけでなく行動力にも恵まれていた。
次々と新しい路線を打ち出し、その中に部員の教育も兼ねた3分間スピーチがあった。
毎日部員が1人3分間で仕事や人生のことについて自由にスピーチするのだ。

何事も率先垂範するマネジャーのIさんは、ある時「第二志望の人生」というテーマで話をした。
「第二志望の人生」というのは、その朝マネジャーが自動車通勤途上、ラジオで聞いた財界評論家の三鬼陽之助氏の言葉である。
三鬼氏は「優れた業績を残した経営者でも、多くは第一志望の夢破れ、第二志望、第三志望の人生を歩むことを余儀なくされ、それだからこそ劣等感をバネに成功を収めた。
つまり、第二志望、第三志望の人生は、第一志望の人生をライバルと仮想し、自分を励ます発奮剤になっている」と述べていたらしい。

「第二志望の人生」の言葉を聞いて以来、私は、第二志望の私の人生を自分なりにしっかり生きようと決心した。
かけがえのない人生を悔いと挫折感で汚すのはやめよう、と心に誓った。

やがて私は、28歳で総合企画室の課長に抜擢され、35歳で退職するまで6年半、会社の企画参謀として従事し、かたわら2年間、人事課長を兼務した。
会社の中でこそ志望外で始まったが、13年間のビジネスマン時代には、第一志望も第二志望も経験できたのは幸せであった。

大学院に行けなったアカデミズムに対する挫折感も、某公立大学の非常勤講師として臨床心理学を講ずることで完全に克服できた。

ちなみに「第二志望の人生」を私に教えてくれたIさん自身も、40歳近くなって司法試験に合格し、今では国際弁護士として、第一志望で活躍されている。


<お目休めコーナー> 4月の草花(1)

 

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