おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「蘇る過程で気づいたこと・感じたこと」シリーズの3回目です。
病が回復する過程で志賀直哉の短編『城の崎にて』をしきりに読みたくなりました。
志賀直哉自身の電車事故の養生に城崎温泉での生活を描いた私小説です。
死ぬはずだった直哉は、町から小さい流れについてすこしずつ登りになったいい所を散歩コースとしながら、生き物の3つのシーン―蜂、ネズミ、イモリ―に遭遇します。
とりわけイモリは、自分が狙うつもりがなく、偶然投げた小石が命中して命を落としてしまうことになります。
直哉は、中学時代に習ったロード・クライブの言葉をこの本のモチーフにしています。
自分は死ぬはずだったのを助かった。
何かが自分を殺さなかった。
自分にはしなければならない仕事があるのだ。
偶然見かけた生き物は死に、死ぬはずだった自分は生きる。
そのことに対して直哉は、「自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし、実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。生きていることと死んでしまっている事と、それは両極端ではなかった。それほどに差はないような気がした」と書いています。
この小説は、最後が次のように終わります。
「[城崎温泉に]3週間いて、自分はここを去った。それから、もう3年以上になる。自分は脊椎(せきつい)カリエスになるだけは助かった」
私には、直哉が体を病んだからこそ見えた風景だったような気がします。
◆金井津美さんの社内の関係性を向上させるために~ワーキングウーマンのためのアドラー心理学 が第3回目を迎えました。
“依存”してくる新人と私(上)
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